いつもこのボタンを押してくれたり、ツイッターなどで拡散していただいているみなさん、ありがとうございます。








この本は本当にすごい。しかも分厚い。
中野さんは途中で読むのを諦める人がいるらしくそれならば漬物石に使えますといってましたけども、確かに本気で学ぼうと思わないと3章くらいで満足してしまうかもしれませんが、私は政策を考える人でしたのでその後が重要でしたからなんとか読まないととおもって必死でした。
一度斜め読みでばーっと目通しはしているんですが、その後マインドマップにまとめを書く作業をして、ブログを書くときなどの参考書として再利用しているという、この本に出会って、社会や政治の根本が理解できるようになりました。


あまりネタバラシしすぎると怒られそうなのでなるべくは私の脳で解釈したことを書くことは多いのですが、やはりここで得た知識がベースとなっています。膨大な叡智の集大成です。



中野剛志(なかのたけし)さんのこの本「富国と強兵」の内容がなぜ凄いのかといえば、歴史は繰り返すということ、何百年前に起きていた社会に対する解決策の思考というのは、今でも当てはまることは皆さんも理解できるかと思います。特に恐慌や戦争というのは必ずおきる。そういう新自由主義という愚かな思想や、物々交換が貨幣の本質だと思い込んでいる一般均衡理論を基礎とした経済学が幅を利かせているからです。

それは過去に学ばないから起きることを知らない人が多すぎる。ただ過去にあったことを繰り返すんだねー。昔はそうしていたんだー。ではなくて、なぜ起きるのか、それではどうやって解決するのか、こうした偉大な生きた学問としての古典を、著者の難解な文章を読み解く聡明な頭脳とずば抜けた速読により、貴重な解決策を時系列にまとめ上げ、現代に警笛を鳴らし過去に学ぼうという本は存在しません。

それがこの本です。
本来一般の人は頑張って古典を読んだとしても年に1、2冊でしょう。
そしてそれをしっかり頭に残し根本を理解する人は一握りです。
ですがこの著者は膨大な資料を異常な速さで吸収している。ただロボットのようにデータベースで記憶しているのではなく、実際に世の中が正常になることを祈りその解決策をさらにわかりやすく解釈できるよう叡智をフルに使って戦った。危機感からですね。それはTPP反対で戦っていたのは有名ですが、今は言論活動ではなく、この壊れきった社会構造を経産省の役人として中から制度を立て直そうとしている。実務者でもあるわけですね。

本当の解決策がこの本にはぎっしり詰まっている。
現代の恐ろしい状況をまず明確にし、経済というものは本来人を救うことができること、奪い合いではないこと、資本主義といものを知りどう発展していったのか、それをどうやって統制をすればいいのだろうか、国と国との争いは地政学的にみれば必ず起きるものだが、それにはある程度の解決策がある、それは何かといえば経済つまり貨幣をきちんと理解することで外交として政治がどうやって交渉など統制を取れるかで、将来の不安定性を安定化させることができる。

そして人々が助けあう最大値が共同体つまり国家であり、国家が国民を守るから成り立つ制度であることを知り、
そのためにはどんなエッセンスが必要なのか、社会やネイションの心理とはどういうものなのか、うまく円滑に進めるための社会制度とは、これを社会学の偉人たちは歴史を紐解き、我々にずっと提言してくれいたわけです。
自分を犠牲にして。

この本には多くの歴史家、社会学者の血と涙を中野さんが受け止め、我々に語りかける。
それは現実を突きつけられ、また絶望を感じ、また希望もあることを教えてもらう。

そして全ては臨機応変つまりプラグマティックに行わらなければならない。

いま、アメリカはコロナ後にバイデンという政権が国家存亡の危機を立て直すべく「アメリカ救済計画」により多くの財政支出をして経済は活況しました。
そして好景気になり経済の活況がインフレ率を押し上げました。そこで次は供給力が上がる兆しの切磋琢磨が始まるのですが、歴史を顧みないで経済学という宗教ばかりをみてしまうから間違いを犯そうとしています。

何をしようとしているかといえば景気を冷やすために政策金利を上げ続けているんですね。


なぜそんなにインフレを怖がるのか、むしろ大恐慌の引き金になり、その結実として多くの失業者が生まれる「デフレ」の方が恐ろしいのに、インフレを恐れるのはなぜか。
活況時に供給力が足りてないならば金融引き締めではなくて違うアプローチで景気を維持するようにしなくてはなりません。(コストプッシュ型はもっと引き締めをしてはいけませんが日本ではやれと証券株エコノミスト乞食どもがいってますけどもマクロ経済を理解してないし、これも空想科学とかではなくて歴史を辿ればわかることなんですね。)

こうして過去に学ばないことからアメリカの経済は今後低迷するでしょう。実際に好景気の恩恵を受けているのは実際には富裕層だということがわかってきました。中間層はやはり生活が苦しいそうです。
それなのに資本経済を停滞させる金利引き締め政策をして景気を氷水で壊死させようとするのだから非常にまずい。イエレンやサマーズというFRBがらみの人たちはやはり残念ながら一般均衡理論の経済学の呪縛から逃れられないので多くの国民を殺してしまうわけです。

これも歴史を理解していないから、間違った経済思想を採用しているという歴史は繰り返されていたわけですから、同じことが起きるでしょう。


日本はどうでしょうか。
その景気が活況して物が売れまくって物価が上がるようなインフレを上げる経済政策はできていません。やろうとしないの方が正解になります。国民を殺したいわけですね。
もちろん今は輸入品高騰のインフレ率は、経済が強くなったインフレではないのはもういい加減皆さんも理解しているでしょう。

ようは実質賃金が下落し続けているのだから経済が没落していることは明白なんですね。

消費税増税のために防衛税だの少子化税だのアドバルーンが飛び散らかってますね。

なので国民がこのことにきちんと向き合わないとこの国は終わってしまう。
それには何が必要なのか、もちろん国民同士が助け合おうとする精神のナショナリズムです。

為政者に真のナショナリズムさえあれば国民を助けようとするからです。



まずはじめに
この冊子の目的は、ただしく「国家」のあり様、「日本のナショナリズムは稀なもの」であることを皆が理解することで、ただしい「国家観」を共有すること。

そして「国家」における「国防」が重要であること。
そしてその結果として、戦争がなくても富国と強兵のための高圧経済を常時フル回転させられる国家になること、もういい加減に気づきましょうということを明白にすることを目指します。

国家とはなんだろうか。
ナショナリズムとはなんだろうか。
なんのためにこれらは必要なのだろうか。
国民を守るためにはどうしたらいいのか。
それをプロセスをたどり「根本」を理解していくことに、我々の「生きていく」ためのヒントが隠されているかもしれません。

ようは、これらを理解していないと、為政者の政治では国民を救いませんし、国民は愚かな為政者によって間違った全体主義に陥って自ら国家を破壊します。

人はなぜ生まれてきたのだろうについては考えようとするのに国家については考えません。とくに日本という島国で線引きされた当たり前のように他国との線引きが存在する国家では、そのありがたみを理解していません。

従って、ナショナリズム研究は国境が隣接し戦争を繰り返してきたヨーロッパで発達したわけです。特にイギリス。それは生きるために必要だったからです。
そしていま、すべての移動手段侵略手段が高速で多種多様になった今において、島国の上にあぐらをかくことは厳しい状況になりました。尖閣問題が顕著です。

保守を自称していても、こういったことをきちんと説明できる人はほとんどいません。本質を理解していないからですね。
ましてや個人主義のリベラルやネオリベが、多様性と主張するうえで本当に正しいことなのかということについて、一番理解する必要がある根本テーマでもあるわけです。

彼らは憲法や道徳的なものを盾としますが、いずれにせよそれらは国家という人の集まりにより、議論され設計され運用され認知されていくわけです。

そして政治を行うものであれば絶対学べ理解しろ、という内容になるかとおもいます。
こういうのを理解しないから間違いを繰り返すということになるかと思います。






前提として、国家とは特定の共同体が支配する領域のことです。
人は1人では生きていけません。従って共同体が必要です。これが理解できない洞察力しかない方はこれ以上読み進めるのは難しいと思います。共同体の必要性が理解できる方にとっては、当たり前の話として読みやすい論説になっております。

これについてもう少し掘り下げた定義をしていくためには、国家社会学の「マイケル・ウエーバー」「マイケル・マン」「ジャン・ベンローズ」の著述から整理することとします。


「領域国家」とは

●「国家」とは領土のことである。
●「領土」とは空間的概念である。
●「空間」とは
 「地球上における人間の生活にのって不可欠な物理的基盤であり人間の生を維持する物質的な力の源泉」
 「自然の美しい光景を見た時や自然の脅威に恐怖したり様々な感情を引き起こされる感情的な力の源泉」
 ⇨ここで補足を加えると、だからこそ人は「空間」に区切り線引きを入れるということです。
●「場所」とは一定の意味を付与された「空間」であり特定された位置として一体的に認知されるもの。
 ⇨ちょっとわかりづらいと思うので富士山で例えるならば、地表にできる隆起物という山の「空間」から、一体的に認知され一定の意味を付与されて富士山という「場所」になるということになります。


領域国家たる「条件」とは

●「領土性」とは「空間」に対する支配権を主張すること。
 支配権の実践を通じて「領土」は創出され維持される。支配権の実践が無効になれば「領土」は重要性を失い消滅する。

最近尖閣諸島は日本の領土だと思ってましたが、実効支配をしているのは中国ですね。もう日本ではないのです。奪い返さないわけですから。
この支配権の実践ということについて考えさせられます。続いて列島本土も実効支配される日は来るのでしょう。その対策を他の大国の命令指揮に依存しているのですから。


「統治機構」:領域国家はどうやって「形成」されたのか

●「場所」とは一定の意味を付与された「空間」であり、物理的な実在を基礎にした社会的な(人工的自然的を問わず)構築物である。「我々のもの」と「彼らのもの」を領土によって明確に区分することを「統治機構」とする。

●「場所」とは一定の意味を付与された「空間」であり、物理的な実在を基礎にした社会的な構築物である。「領域国家」は「統治機構」により区分される。
 ⇨これは近代的なものであることに留意しなければならない。

●「場所」とは一定の意味を付与された「空間」であり、物理的な実在を基礎にした社会的な構築物である。
 また、「領域的」ではない「統治機構」というものあって、「未開社会」や「領土」を固定しないケースには存在する。
 ⇨例えばその場合の定義は「領土」ではなく「血縁」となる。=モンゴルの遊牧民

●「場所」とは上記で定義されたものであるが、「統治機構」が「領域的」であり、かつ「領土が固定的である場合」であっても、 領土が必ずしも排他的ではない場合もある。
 ⇨例えば中世ヨーロッパにおいては、一つの「領土」内に国王・封建諸侯・教会など政治的権威が複数存在し分立重複した。


「主権国家」領域国家を守る上で必要なもの
  • 近代的な政治システムにおいて、政治的権威が領土内で単一の公的権威として統一されている。
  • 公と私という領域を分化し、公が私を”正当化された強制力”の独占をする。⇨統治
  • 国家の内と外という領域を分化し、内に対しては法により国内社会平定し、 ”正当化された強制力”の行使で外には交戦権を発動する。
  • 血縁や封建などの多元権力で紛争が絶えなかった中世にくらべ、近代の主権国家は法や制度のシステムにより政治秩序を有するため平和的である。
これが本来の主権国家の定義である。
地図





「領域国家の権力と個人」について、世界の国家形成の変貌における歴史から学び、国家の構成要素について簡潔にまとめたものです。

ここで出てくる「メタ理論」についてあまり聞きなれない方に簡単に解説すると、理論のための理論ということでググれますが、本当にざっくりで説明すると、理論形成するための基礎的な理論ということでいいと思います。

領域国家の権力と個人
近代の国家形成に関するメタ理論は、国家を既存の社会構造が置かれている「場所」に還元して説明しようとしてきた。

例えば国家を破壊してきた二つのイデオロギーをみてみると、
  • 自由主義にとって国家は、人々の一般意志や共通価値が表現される「場」にすぎない。
  • マルクス主義にとって国家は、階級や利益集団の闘争の「場」にすぎない。
「国家とは何か」という論争において、そのことについて論理的に解明してくうえで重要なのは、国家を統治する上で必要な「政治権力の概念」がどういったものがあったかということです。

歴史学者のマイケル・マンは、「専制的権力」「インフラストラクチャー的権力」に分けられると説明します。

これはどういうことなのかというと、国家をそれ固有の自律的な権力を有する主体と理解すべきで、 その起源は「領土」にあるということです。
これら二つの権力の概念を説明すると、

 ●「専制的権力」とは、市民社会と調整することなく、国家エリートが独善的一方的命令によって人民に強制する力。
 ●「インフラストラクチャー的権力」とは、市民社会と交流し調整しながら「制度」を通じて政治的決定を執行する国家の能力。

これらの権力で成り立つ国家は現代でも存在し世界を二分しています。
これらを踏まえ、それぞれの社会制度における
「政治権力の概念」をみていきましょう。

①資本主義の民主国家の政治権力

「専制的権力」は弱く「インフラストラクチャー的権力」は強い。
なぜなら国家による行政サービスにより人民を管理するので国力が増大するからです。
前者がより独裁的であればあるほど国力は低下します。
(ちなみに通貨はインフラストラクチャーの最たるものです。)


ちなみに、このインフラストラクチャー的権力により誕生した資本主義と民主制について説明すると、
  • 「資本主義」とは、営利目的の個人的所有者たちによって貿易と産業がコントロールされている、経済・政治システムのことで、封建制以降の産業革命やフランス革命以降にイギリスやアメリカやドイツがこの制度で台頭した。
  • 「民主国家」とは、民主制を取る国家で、国民が主権たる国家。間接民主制により市民(国民)が自由選挙で選ばれた代表を通じて間接的に、権限を行使し、市民(国民)としての義務を遂行する統治形態。
もう少しこの二つの権力について深堀します。


②中世の封建社会国家の政治権力
中世では「専制的権力」「インフラストラクチャー的権力」も弱い。
  • 日本においては鎌倉から江戸時代のことを指す。
  • 欧州においては領主と宗教の司祭や貴族などの権力がアンバランスであったので対立が起きていた。つまり領主の力が弱かったことがうかがえる。
ちなみに「封建制」とは、君主の下にいる諸侯たちが土地を領有してその土地の人民を統治する社会・政治制度であり、諸侯たちは、領有統治権の代わりに君主に対して貢納や軍事奉仕などといった臣従が義務づけられ、領有統治権や臣従義務は一般に世襲される。


③古代エジプト「王朝」やローマ「帝国」の政治権力
古代では「専制的権力」は強く「インフラストラクチャー的権力」は弱い。

ちなみに「帝国」とは、古代より、皇帝の支配する統治体や、複数の政治単位を統治する広域的支配を指し、近代以降は、植民地を領有する国家を意味した。

これら各時代によって二つの権力の概念がどうだったかを簡潔にまとめたところで、本題のマイケル・マンが提唱した概念である「インフラストラクチャー的権力」が優位だという理由についてい以下列挙します。
  • 「インフラストラクチャー的権力」のほうが「専制国家」よりも国家権力は強力である。 なぜなら社会を一元的に管理できる中央主権的な公的権力が存在するからです。
  • 公的権力の中央集権化や一元化を「領土」内で実現した国家形態こそが「領域国家」である。
  • 「インフラストラクチャー的権力」は「領域国家」を起源としている。
  • 「領域国家=近代主権国家」は、血縁や主従関係から解放し、個人の自由や私有財産の「権利」を認める。 その代わりに個人に対して「義務」を課した。法的に身分を保障される。
  • 近代的個人とは「領域国家」によって生み出されたもので、「社会契約説」が唱えるように、 「個人」が国家を想像したのではなく、国家が「個人」を想像したのである。
  • 人間は「主権国家」により「権利」を付与される。かつ「権利」を保障されることで初めて 「私」「個人」といった権利主体として存在し得る。
  • 例えば、難民はいずれの主権国家の管轄範囲にも受けれられていない。従って自律的な「個人」として 生きていくことは事実上不可能である。国家から保障を得られないからである。
  • 「主権国家」=「領域国家」こそが、人間が「個人」という権利主体として存在するのに不可欠な制度装置である。 「近代的個人」とは「インフラストラクチャー的権力」に「依存」する存在であるということ。
  • その自由意思により領土を超え領域国家の管理下から逃れてしまう個人もいる。 これが「グローバリゼーション」という現象である。
  • グローバリゼーションも「領域国家」の産物である。 多国籍企業に属する個人も、非政府組織活動家も、元々は母国の政府から「自由権」を付与されパスポートを与えられている。 なぜなら難民は国境で足止めをされる惨状をみればわかる。

まとめると
・制度により国家とは国民にさまざまな権利を保障する共同体であること。
・グローバリズムとはそもそも国家があっての産物であること。
・このグローバリズムの源泉である、個人の欲望から生じる「個人主義」リベラル・「自由主義」ネオリベが、国家という共同体の恩恵をうけていることをいつしか大した問題ではないと驕り高ぶり、共同体を壊してしまう。
ということですね。

八百万の神






「領土とナショナリズム」について重要な要素となる「ネイション」とは「ネイションイズム」つまりナショナリズムであり、国民主義である。

また、国民とは国家という共同体に属するという意識を持った人たちのことであることが条件であり、国民を守る国家という境界線を示した地図の話である。


領土とナショナリズム

今日「領域国家=主権国家」は、概ね「国民国家(ネイション・ステイト)」という形態をとっている。
さしずめ近代においては「国家」(ステイト)が「領土性」を強く帯びています。

これを簡潔に説明するならば、国家とは秩序で定義づけられているわけではなく、形のある領土にしか存在し得ないということです。


それでは「国民」(ネイション)は「領土性」とどのような関係にあるのかについてわかりやすい例があります。
人民の言い方です。それは単なる人々を表す「ピープル」という概念ではなく、あえて「ネイション」と言い表すのは、政治的共同体(制度や権利や義務の体系を有する共同体)の一種としてのパッケージとしての総称で呼称され、この共同体の中の結びつきと考えるからである。


つまり共同体に属していない人はこの世にはいませんが、ロヒンギャの方のような国家を持つことができない人たちはネイションではないわけです。
共同体に守られていないということは、なんの権利も認められず、定住可能な領土もなく、病院にもいけない、生まれながらに誰からも保護されない弱い人たちなのです。
これだけでも共同体の大切さがわかるかと思います。


社会学者アンソニー・スミス曰く、ネイションの概念は社会学的に「シヴィック・モデル」と「エスニック・モデル」があるという。
  • 「civic」とは「都市の」「市民の」という意味
  • 「ethnic」とは「風俗・習慣」「文化・伝統」=「民族的」という意味

そして、
  • 「シヴィック・ネイション」とは、西洋型モデルで、法制度の共有・法的・政治的平等。すなわち歴史的領土の保有であることから「領域ネイション」と言われる。
  • 「エスニック・ネイション」とは、非西洋世界モデルで、家系や血統・文化・言語・習慣を強調するネイションである。
ネイションについては、両方の要素を兼ね備えているといえる。
例えばフランス革命下においては、法的・政治的平等を掲げつつも、 フランス語やフランス文化といったナショナリズムとしての誇りも同時発生させたわけです。これはシヴィックとエスニックが含まれているわけです。

これらを踏まえスミスはネイションについて定義を試みました。
ネイションとは「歴史的領土、共通の神話や歴史的記憶、大衆、公的文化、共通の経済、 すべての構成に対して共通の法的権利義務を共有する特定の人々」のことをいうのであって、「ネイション」は「領土」を必須の構成要素とすると定義づけました。


補足すれば、実際に地図を広げれば、近代においては「国家」(ステイト)もまた「領土性」を特徴としているのが一目瞭然である。日本国家に何の許可もなく勝手に他の国籍の人が住めないですよね。



ネイションの概念
  • 一定の集団の構成員が互いを同じ国民だと思う限りにおいて、その集団はネイションなのである。=国民国家である。
  • 同じ国家に帰属する民族や人民であっても互いを同じ国民と認めなければ、その国家の人民はネイションではない=国民国家ではない
  • 人種・民族・言語・宗教が違う人でも、お互いに同じ国民だと 「意識を共有」していれば、彼らはネイションと呼べる。
例えば世界を見れば、
 スイス・ベルギー・アメリカはじめ、多民族で構成されるネイションがほとんどであること。
 日本のように民族的・言語的に同質性が高いネイションは珍しい。

政治学者のベネディクト・アンダーソン曰く、「ネイション」とは、極めて想像的で国民意識的で主観的であり、その概念として「想像の共同体」であると結論づけた。


ネイションの想像
  • 歴史学者のアーネスト・ゲルナー曰く、ネイションという「意識」を創造したのは近代産業社会であるといった。
  • 高い移動性・発達したコミュニケーション能力・教育システムにより 、慣習・地域共同体・伝統的地位に拘束されず、広範囲の交流により、標準言語と画一的な文化を共有するようになった。
  • この「画一的な文化の共有」こそが、人々の間に同じネイションに帰属しているという意識をもたらす。
  • ベネディクト・アンダーソンも、資本主義が、印刷出版の普及を通じ、人々に共同体の構成員である意識を芽生えさせ、 教育や行政などにより、意識的にナショナリズムを注入したことで「ネイションの想像」が形作られたと論じた。
  • 近代国家が、近代産業資本主義のもたらすコミュニケーション発達や教育制度により「ネイションの想像」を生み出していると結論づけられる。

補足しますが、日本の大和魂があると考えるのは、生まれながらに理解していたわけでも、喉が渇いたから水を飲むという生理的なものではなく、後天的な意識づけがあって、またそれを認識する必要があって、共同体の役割を実践することが社会をより良いものにするという結果的な共同体意識がネイションの想像に至るということになるかとおもいます。



想像の共同体の制約
  • ネイションという「想像の共同体」が生み出されるのは、 [近代国家]⇨[個人に権利と義務と公的サービスを提供]⇨[個人は同一の政治共同体に属していると想像する] ⇨[国家運営に関与しているという一体感を得る]⇨結果人々に「ネイションの想像」が伴うからである。
  • 近代国家の多くはこれらの理由により、国民主権つまり「国民国家」という形態を選択する。
  • 「近代主権国家」は「領域国家」でもある。「ネイションの想像」が及ぶ範囲は「領土」の内部に留まる。そしてその境界を超えれば「他の領土」である。
  • 宗教的・民族集団の(エスニック・グループ)共同体は「想像の共同体」ではあるが、国境にとらわれずに存在し得る。 例えば他国にいる日本国民や宗教的グループ(※)などがそれにあたる。
  • これに対して「ネイションという共同体」は「領土の制約」を受けるが、領土の範囲を示す「地図」がネイション形成において役割を果たす。

補足ですが、
この宗教的グループというのは統一教会的な共同体意識のない金と権力のつながりのカルトビジネス集団ではなく、シャーマンなどの土着化された風習、そして神聖な気持ちの信仰心のことを意味する。
日本で言えば神道ですね。
けしてお金で運営される営利集団に祭り上げられるカリスマが書いた経典を信じることではないことを強調する。
重要なのは感謝という信仰です。

カルトな宗教につては、純粋な気持ちで救いを求める思いと、それを利用する側があり、そういった構造の宗教は共同体の敵であることは間違いがなく排除されなくてはならないが、例えば亡くなったときには、日本だろうがアメリカだろうがイスラムだろうが、お墓に入るまでの間は風習伝統文化により行われる一連の儀式も、もちろんその共同体が認めてきた宗教的行事といえるとおもいます。お金は払っているんですけれども、それは宗教信仰に払っているのではなく、故人のために払っているという、やはり共同体のつながりであり、人の思いです。



地図の重要性
  • アンダーソン曰く、オランダに植民地時代に、多民族のインドネシアの人々におけるナショナリズム形成は 「人口調査・地図・博物館」が重要な意味を持った。 中でも地図は支配領域の意識と想像に役立った。その領域内における絆が強まったからだ。 そして独立後もそれは維持された。ちなみにインドネシアの事例と同様に、他の国でも植民地から解放された後もその国境を維持し続けた。
  • つまり「地図」が「国民統合を促す上で」重要な役割を果たしたのである。


共同体の象徴
  • 共同体は想像であるため物理的存在ではない。だが人は実感を与えてくれる「象徴」が必要となる。
  • 「ネイション」の場合、歴史・文化・言語が挙げられ、「領土」も象徴の一つである。
  • つまり「想像の共同体」の建設は「地図」が必要であり、それを作成・設計する官僚制国家機構と、 構築をする産業技術や測量技術を必要とする。

地図を見て境界線に線引きをして共同体を構築するために設計をし構築をしていく。
こうして共同体、つまり国民国家「ネイション」は、制約の中で、制度を通して形作られていくわけです。
逆を言えば同じ人種や同じ地図上に住む者同士でも、共通した想像がなければ共同体を構成することはできない。


領土とナショナリズム







国民国家には、その意識づけにおいて地図に表される領土の中で、かつ共通した想像のなか団結することができることを明確にしてきました。

聖的なる領土

社会歴史学者のアンソニー・スミス曰く
  • ネイションは共同体の中の共通の「意識」の「想像」以上の存在でる。これは社会的な実在であり、集団の意思や感情を引き出し行動を起こす原動力である。
  • 人はネイションのために命まで犠牲にする。これは「想像」を超えたものである。

と結論づけました。これは西洋の共同体同士の紛争、そして隣接国がない島国日本であろうとも、侵略に対して団結して抵抗した歴史事実で理解できると思います。

エミール・デュルケイムの宗教社会学
  • 宗教を社会が共有する規範的な心情と実践を象徴するものとみなした。
  • 人の意思や感情に訴え、未だ実現していない理想に向けて規範的な行動に駆り立てるのが宗教である。
  • 社会というのは規範や行動様式を共有して成り立つ。この認識させる役割を 「聖的な象徴」=「宗教」に他ならない。
  • 「宗教」と「社会」は不可分つまり密接な関係にある。社会は宗教的な聖的さを帯び、宗教は社会的な性格を持つ。
  • 彼の社会学における宗教とは、「教義」ではなく「機能」のことである。
  • 彼の社会学的な「宗教」とは、超事前的な正解における救済を希求する心情(一神教に見られる世紀末的な救済願望やユートピア願望のこと)ではなく、 聖的なものを巡る信仰や実践の体系(日本においては古来から継承される五穀豊穣、すべてのものに神が宿るという考えから、感謝を忘れず祀る精神)である。
  • 彼が主張するのは「社会は何らかの聖的な象徴を基盤としているはずだ」 「これがなければ社会はその凝集性を失って分解するだろう」ということである。

これについては日本の歴史を見れば分かる通り、神社を中心として祀りごとが政ごととして共同体の意思決定がされてきたことを踏まえれば、なるほどその通りだと思います。
ナショナリズム
  • 象徴、神話、聖典、芸術、儀式、祭礼といった宗教的な特徴を帯びている。 つまりナショナリズムとは「政治的な宗教」の一種として理解され得る。
  • ネイションの聖的な基盤を構成するものに「領土」がある。 固有の領土を保有するのはナショナリズムというイデオロギーの中核の信条である。
  • ナショナリズムにとって「領土」とは先祖から受け継いできたもので神聖不可侵である。
  • 領土という概念は近代になって確定的になった。しかし人は古より故郷に強い愛着を覚える。
非常に重要なことかと思われます。
私はこれを宗教や思想を持ってして制度という解釈をすることが正しいというのは理解できますが、これらを「道」と言い換えてもいいと思っています。

私は盲目にカリスマの教義の真理を信じることと、今を生きて生きるための思考を、明確に分けたいと思うので、前者は宗教だと定義しており、後者をだと考えております。

皆さんはどうでしょうか。もっとも、用語の定義ではなく中身を理解していることが重要ではあるのですが。この政治とカネと政治の問題において、この問題はもっと議論されなくてはならない重要な根本だとおもっています。これらを間違ってきたからこそ、日本は國民が蔑ろにされてきたわけですから。
※ちなみにこの記事は安倍総理暗殺以前に書かれた記事で、当時は皆さんピンとこなかったかと思います。

そして、この冊子の冒頭で切り出したように、政治がやるべきことは、國民を食べさせること、そして領土を守ることだということが、ナショナリズムの観点において重要であることが、お分かりいただけると思います。
今、日本の政治はそうなっているでしょうか。


土地とは
  • 土地が人間の性質を形成し、人間が土地の性質を形成する。お互いを形作りあう関係にある。
  • 土地は人々のアイデンティティの一部を構成する。 (砂漠地帯⇨ベドウィン)(北極地帯⇨エスキモー)
  • 特定の土地に愛着や崇敬の念を抱くのは、その土地が彼らの存在の一部だからなのである。

日本の領土
  • 明確に確定したのは明治時代。しかし以前から島国として長い歴史を持ち、 江戸時代は鎖国政策を取っていたということは他国と明確に区別する意識があった。
  • 平田篤胤は、江戸時代後半に国学が勃興し、日本の固有性や優位性を強調するため、 「国生み」や「天孫降臨」の神話と結びつけ、国土の聖性を鼓吹した。
  • この国学の概念を基礎として、ネイションの統合を図り、近代的な国民国家を建設した。
  • 明治維新後の近代日本国家は、この概念を基礎としてネイションの統合を図り、近代的な国民国家を建設した。
  • 日本における領土の聖化という現象は、「近代のネイションはエスニー(文化的共同体)の積み重ねや脈々と受け継がれる連続性を中核として形成される」という、スミス理論を体現するものである。
補足:国学つまり日本のアイデンティティを確立しようと言う試みは江戸時代に行われていて、それを明治維新後に近代西洋型國民国家に近づけようとした試みが行われた。あえて近代化を目指す上で西洋文化を取り入れたことの賛否はあると思います。しかし日本の皇室などの共同体の聖的な基盤の連続性に努めたことを評価するというよりも、国家統治、国民統合をする上で必然であったということが理解できるかと思います。逆にそういったものを蔑ろにした場合は、国家の統治は失敗しただろうと考えられます。


ナショナル・アイデンティティ
  • 領土が主権国家の管轄を決める便宜的なものであれば取るに足らず、であれば紛争を解決するには金銭的な解決方法で十分だろう。
  • しかし領土がナショナル・アイデンティティを構成するものでるならば、 領土問題は金では解決しない。つまり誇りのための紛争となる。

今の日本は領土を軽く手放す政治が行われています。安倍晋三首相は北方領土をはじめ、ロシア側に投資、つまり金で解決しようとしました。そして今交渉はできていますか。ナショナリズムを守ろうとするのが保守ですが、これらを理解しても自民党は保守だと口が裂けても言えないでしょう。
これが日本の根本の問題なんです。



聖的なる領土まとめ
  • 「近代主権国家」とは「領域国家」なのであり、「ネイション」の想像の発生源であり「国民国家」へと転化する。
  • しかし昔のロシア・ソ連のように「近代主権国家」ではあるが「国民国家」ではない政体(統治形態)もあるが、ほとんどがその逆である。
  • 「領土」という空間は、「我々」の想像と感情によって補強され、「ネイション」という強力な「共同体」意識を形成し機能し、 「ナショナリズム」という強力な動員力の発生源となる。



国生み





「国家形成の理論」という根本の理論があることを紹介し、「軍事組織と国家組織」についてどういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめたものです。



前置きとして
国際情勢などを分析する際に多く使われる論法としては、
  • 人間の本性に求める「第一イメージ」論
  • 国内的な政治経済的要因に求める「第二イメージ」論
  • 国際協調や国家間の権力配分などで見ようとする「第三イメージ」論
というものが使われました。

いずれが正しいかといえば、人間がそう感じたとか、リベラルな個人主義の観点で物事を捉えるというよりは、国家間ですからやはり政治経済的要因が先行されます。

わかりやすくいえばあの国とは歴史上仲が悪いとか目の上のたんこぶだからという嫌いという理由で戦うなんて言うのは起こり得ません。

ましてや国際協調を守って自由貿易で大国に依存して国力を衰退させた国もあります。我が国です。
これらを見誤った結果です。

緊縮を続けて国家を後進国化しているどこかの国を見ても分かる通り、政治的帰結で起こりうる国力の差から生じる要因は大きいです。経済も軍事力も強い国には逆らうことができなくなってしまいます。
イギリスという国土面積の小さい国が世界の覇権を握ったことからも、領土の面積の問題ではなく、いかに内需ビルドアップにより富国と強兵をしていったのかが重要です。

売れるものだけを売ればいいという自由貿易では、コストの低い国に合わせなくてはならず、ほとんどの産業が衰退し、輸入依存度により経済が低迷し、雇用の面において民が死に追いやられてしまいます。

外国との産業競争力というのをビジネスの肝のようにいう頭の悪い人がいますが、実態は、粗悪な資材でものを作り、安い賃金で人を働かせることに帰結するのを洞察できない人間の詭弁です。
実際に歴史を遡れば、産業革命後イギリスが衰退したのは、独占市場を牛耳った富裕層だけが富を得るように喧伝され、多くの国民が騙され、政治とカネの不正により、国策を自由貿易に特化したことが理由です。

今の日本の衰退した現状で学べるかと思います。同じ過ちを繰り返してしまったわけです。

そして、ここで説明する世界のパワーバランスを分析する「逆第二イメージ」論により「本質」を見ていくことが重要だということが明らかになったというお話です。



国家形成の理論
  • 国際政治学者のピーター・グルヴィッチ(ゴルヴィッチと記載される場合もある)のいう「逆第二イメージ」とは、「国際関係の圧力が国家を規定する」視点であり、 それは「国家が国際関係を決定する」という従来イメージをコペルニクス的に転回するものであった。ちなみにコペルニクス的転回とは天動説以外は考えてはダメだという間違った教義に対して、地動説を唱えたこと。つまり事実を持ってして正すことの意味である。
  • 近代国家の形成過程の解明は1970年代に歴史社会学分野で進展があった。 そして社会学の研究者たちに共通する視点は「逆第二イメージ」の視点であった。
  • 歴史を振り返れば「戦争は国家が引き起こす」わけで、「国家が戦争を生み、戦争が国家を生む」また「国際関係が国家を動かし、国家が国際関係を動かす」といえるわけです。
  •  世の中がきな臭くなると重宝される「地政学」とは、国際関係・国際紛争を扱う分野である。
  • 「国内の経済構造が、地政学的な国際情勢によって影響」され、その逆に「地政学的な国際情勢が、国内の経済構造によって影響」されるという 「逆第二イメージ」の視点で相互作用を解明する理論こそ「地政経済学」と呼ばれるべき理論が目指す地点である。
  • ちなみに、再評価されている、歴史家のオットー・ヒンツェの「軍事と国家組織」、経済学者の「ジョセフ・シュンペーターの「租税国家の危機」、 地理学者マッキンダーの「地理学から見た歴史の展開軸」「民主的理想と現実」は1900年初頭で同時期に刊行された。 彼らもまた「逆第二イメージ」を持ってして世の中を分析していた。


軍事組織と国家組織
まず前提として、軍事と国家の関係についてフローを整理したヒンツェの説をみていくと
  • 「あらゆる国家が元々は軍事組織、すなわち戦争のための組織であった」というのが歴史を紐解けばことの始まりであった。この軍事の意味が攻撃なのか防衛なのかはさておき、目的のための手段の話である。
  •  次に組織の枠組みの中で、農業が行われるようになり、人が土地に根付き、人口が増え、交易や技術発達していくという人類の経済生活が変化していった結果、軍事活動と非軍事活動の分業が生じ、階級は、戦士と非戦士とに分化ていった。
  •  こうした経緯により、肥大化する国家組織の中において分業により、国家組織があって分業として軍事組織に変貌していった。
みんなで集まって力を結集して戦っていくための共同体を作り、組織つまり国家という共同体の中で人々が基本的な生活をしていくために、いくつかの役割が必要となり、軍事が国家の役割の一つという位置付けになったのは必然的である。


 国家における軍事的領域と経済領域の関係
 経済自由主義のパラダイム

次に、これら第一から第三のイメージにより国際情勢の分析を間違ってきた帰結ともいうべきグローバリズムにによる国家破壊のフローを見ていく。
  •   ハバード・スペンサー曰く、「人類の進歩により軍事的領域が後退し、経済的領域が優位を占めることで、世界は平和な秩序へと向かうであろう」と言っている。
  •   リチャード・ローズクランスは指摘する、「近代世界の国家において、「軍事・政治国家」あるいは「領域国家」から「通商国家」へと転じていくだろう。 1990年代後半の半ばになると、彼らは自らの国家理論をさらに推し進め、グローバリゼーションによって領土は無意味なものとなり、国家はついに「仮想国家」となるだろう。
  •   冷戦後の世界においてアメリカはグローバリゼーションを推し進め、中国のWTO加盟を後押ししたが、 この戦略も国際通商関係の深化による平和な世界秩序をもたらすというパラダイムつまり支配的な考え方の空気に基づくものであった。
ここでは経済自由主義が行き過ぎると国家破壊に陥ることを暗示している。

実際に世界はEUや日本の自由貿易参加などを含め国防をおろそかにし自由貿易による国際秩序による平和という妄想を追い求めているのは、まさに一神教の宗教によくあるユートピア思想に近いと私は思います。

一部のものが得をするように喧伝され力を増し、政治を利用して増大する、一神教のカルト的宗教と自由貿易のカルト経済学の間違いは同じなんだと学ばなければなりません。
ローマ帝国の崩壊を見ればわかるかと思います。

少し話を進めてみましょう。いまは常に政治が利用される「経済学の間違いと一神教宗教の間違い」について我々は問題解決の思考を重ねなければいけません。

パラダイムとは、(科学上の問題などについて)ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組みのこと辞書で引ける。

従って上記のフローは、「世界秩序や国際協調に寄り添うパラダイム」を外交の柱とした結果、国家破壊が進んだという結論になる。売国したら国は壊れるという洞察力がなかったと言わざるを得ない。

従って、パラダイムシフトとは「その時代の最適解といわれていたものの転換」ということになるかと思います。革命でもなんでもななく、真実に向けた方針転換です。

もうすこしこのパラダイムシフトについてみていきましょう。

誰かの利益のために国を蹂躙するために作られた世の中の人を洗脳するための聖書ありきの宗教ですが、15世紀当時、一神教を正当化するために絶対とされていた教義の中において「天動説」が支持された。
宗教的占いを導くために天動説が利用されていたものが間違いでした。

そして「地動説」が正しいと言えるまでに、多くの科学者はキリスト教から弾圧され殺されたわけです。ガリレオ・ガリレイという立派な天文学者が宗教裁判で弾圧されたことは有名です。
正しいことを主張しているだけなのに、一神教を正当化する教義を絶対とする宗教というのは正しい道さえも認めないということがわかるかと思います。

そして現在起こっている経済的パラダイムのMMTも貨幣理論について真実を語っているだけなのに、古典派経済学主流派経済学の宗教的思想の間違った思考を持つ人たちからは、異端扱いにされているわけです。

なぜならこの現代貨幣理論が正当化され、公共政策の考え方のベースに採用されれば多くの国民を救うことになるが、時代は繰り返すわけで、誰かの都合のためにつくられた「教義教典」から外れることは力のあるものからは受け入れられないわけです。
人は間違いを認めることができないとも言われます。力を持っていればなおさら。


さて、先に挙げた経済自由主義(グローバリズム)からのパラダイムによりここまで世界そして日本が没落してきた理由について理解できたかとおもいます。

ここからはメインテーマである「逆第二イメージ」、つまり地政学と経済学を合わせた中野剛志氏の地政経済学の視点で得られる軍事と国家の関係の分析です。

■ヒンツェの「逆第二イメージ」
 「経済自由主義のパラダイムへの異論」
  • 世界は未だ恒久平和の用意がないことは世界の事象が明確に示している。予見可能な未来であり、問題は、これまでの歴史と同様に残り続けるであろう。
  • 国家組織の形式と精神は、経済・社会的関係や利害対立のみ決まるのではなく、主として防衛と攻撃の必要性、つまり軍隊と戦争の組織によって決まるということ

「国家と国際関係」
  • 国家組織の形態は、国際紛争の圧力で決まる。国際関係が重要な要因である。
  • 国際関係が国家を規定する。とりわけ戦争に備えるために国家は国内構造を変えてきた。 例えば古代の部族国家・中世の封建国家・近代の国民国家は、戦争に適応するために形成されてきた。

 「近代の「軍国主義」時代」
    ◆第一期:15世紀〜17世紀
  • 貨幣経済の発達と戦争という政治的需要から、騎士に変わり傭兵を用いるようになる
  • 傭兵を用いることから軍事問題は財政問題の色彩が濃くなった
  • 軍事組織は、常に準備している国家組織としてではなく、必要な時に専門の人を発注するという国家組織ではない外側に位置付けられていた。つまり傭兵は必要な時に集めるということだったということ。

 ◆第二期:17世紀〜18世紀
  • 度重なる戦争期で大陸ヨーロッパの国家は絶対王政の形式をとり、常備軍を有する
  • 常備軍の維持が国家財政機構の主たる任務となり税収増大が必要となる
  • 国内経済の発展に関心が向けられ、貿易などで貴金属や貨幣を蓄積する「重商主義」思想が生まれた。
  • (例えばイギリスは)島国故に戦争の危険性が相対的に低かったので大規模な常備軍を必要としないので絶対主義化をしなかった。(絶対的な権力を振るう体制。独裁政治・専制主義・ファシズムなど)

    ◆第三期:フランス革命以降
  • ナショナリズムが発生した。つまりナポレオンはナショナリズムを軍事利用し愛国心に駆り立てられたマス・アーミー(国民皆兵)が編成され絶対王政下の常備軍に代わる
  • 国民は皆兵であり、兵士と市民の二つの側面を持つことになる
  • 19世紀の民主化とは軍国主義の原則である国民皆兵であり、民政に拡大、中央集権的な行政機構が整備された。これもまた軍事組織の運営の原則が応用されたもの
  • (例えば当時のイギリスは)守りやすい島国であったため、当時は防衛面から見れば戦争の危機が少なく、常備軍を持たず必要な時に調達する志願兵制度であった


   「まとめ」
  • 国際関係からの圧力・戦争が、国内の政治構造を形作る主たる要因であることを明らかにした。
  • 各国の政治構造の相違も、地政学的な環境の違いから生じると主張した。(ヨーロッパ大陸とイギリスの違い)
  •  このヒンツェの逆第二イメージによって1906年に予測した通り、8年後の第一次世界大戦では、軍事的領域と経済的領域が一体となった総力戦として行われることとなった。

ナポレオン組織








次に、「租税国家」「軍事技術と国家」「重商主義と経済政策」について、どういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめ、

目指すものとしては、国家と軍事技術の発展に伴う経済政策の進化について追うことで、地政経済学つまり富国と強兵の妥当性を証明することを試みています。


租税国家
  • ヒンツェ曰く、国家構造を形成する主たる原動力は戦争であると論じた。
  • ジョセフ・アロイス・シュンペーター曰く、第一次世界大戦中に「租税国家の危機」を執筆し、近代国家を生み出したのは、中世末期の封建制の財政的な危機と論じた。

財政社会学と国家形成
  • 中世ヨーロッパでは公的領域(公のもの)と私的領域(民間個人のもの)とが未分化であった。つまり国家の概念は存在していなかった。
  • 領域諸侯の財源は、荘園※の従属農民、家臣の貢納、教会の納付のとおり、徴税は存在しなかった。 
  • 14〜15世紀にかけて戦争増大により領域諸侯は財源的困難に陥る。つまりオスマントルコの脅威である。
  • シュンペーターの故郷オーストラリアでは領主の動員で貴族招集部隊で対抗したが、戦うことを専門としていない寄せ集めであり、領主に対して従順ではなく反抗もあっためまとまらず質的に弱体であったため、屈強な傭兵に頼るようになった。
  • 傭兵に費やす費用が増大して財政難になったため、領主は等族(封建秩序のもとで種々の特権を享受していた貴族や聖職者)に対し、個人の敵ではなく「共同の困難」と主張し資金の拠出(租税)を求め賛同を得た。
  • もちろんこの租税は公的なものと位置付けられ、領主の私的財政とは区別された。
  • 次第に領主は公的領域を拡大し、戦争目的以外で租税を徴収するようになった。
  • シュンペーター曰く、この様な過程を経て近代国家は成立した。つまり「共同の困難」に立ち向かうため国家が必要だったと論じた。
  • 社会学者のマイケル・マン曰く、 イギリスやオランダのように富裕層と税の負担で合意できた国は立憲国家となり、 フランスのように富裕層との合意が形成できない国は絶対王政※への道を歩んだと論じた。

「荘園制」とは、ヨーロッパでも日本でも中世時代の頃にあった統治システムで、ポイントは公的支配を受けない、あるいは公的支配を極力制限した、その土地の支配形態の制度・システムである。(wikipedia抜粋) ここに中央集権的な主君と家臣ということで「御恩と奉公」という概念が入ってくると「封建制」という支配統治の概念になっていきます。

「絶対王政」とは、中世までの諸侯や貴族、教会の権力が地方に乱立し、分権的であった状態から王が強大な権力を持って中央集権化を図り、中央官僚と常備軍(近衛兵)によって国家統一を成し遂げた時代に特徴的であった政治形態を指す。(wikipedia抜粋)


軍事技術と国家
  • ウイリアム・マクニールは、大著「戦争の世界史:技術軍隊と社会」にて、軍事技術と軍事組織の歴史的変貌に着目し、これを近代国家の起源として裏付けた。

近代国家の萌芽
  • 西暦紀元1000年頃のヨーロッパ:農村社会の防衛手段は「騎士階級に依存」していた。従って君主は騎士階級に対して「貢税を平民から徴収できる領土を供与し、その見返りに従軍の義務を追った。」
  • しかしそのうち商業が発達したため「市場志向型」つまり社会関係が共同体ではなく「市場」を介することが多くなり、 12世紀には先ほどの騎士階級などの「封建制」※による防衛システムは機能しなかった。
  • 市場志向型の行動様式では、「領地を守るという大義」における団結によって市民民兵隊を組織することが困難になった。
  • 同時に「クロスボウ」という武器が登場。これにより民兵が重武装騎士を倒すことができた。 そのため軍隊を組織的に動かす運営方法つまり「戦争の技芸」つまり戦争スキルが必要となった。
  • 軍人を雇うために徴税して給与を支払う、軍人は支出をする、徴税基盤の民間経済は活気付く一助になる。 つまりイタリア諸都市の市当局は、人間社会が商業で連結され有効に自衛できる手段を発見した。


※封建制度は、封土(ほうど)と呼ばれる土地を介した、主従関係による支配体制を指します。家臣の働きに対して、主君が与える土地のことです。封土には、土地だけでなくその土地の住民(農民)も含まれます。
日本の鎌倉時代の御恩と奉公で説明するとわかりやすいですが、将軍は「御恩」として、御家人と呼ばれる家来に、領地の所有を認めて保護すると同時に、手柄を立てたときには新しい領地を与えます。その代わりに、御家人は内政や戦で将軍の手助けをする「奉公」を誓いました。


軍事の商業化
  • 古代の軍事の運営は、前近代的な軍事的国家としての「司令志向型」行動様式に則っていたが、イタリア人たちは「市場志向型」行動様式が締める商業社会における、近代的な軍隊の運営法を発見したのが「軍事の商業化」である。

大砲の導入 「軍国主義の第一期」
  • しかし、15世紀ごろからイタリアの都市国家の国家システムは、 オスマン、フランス、スペインなどの強大な領土を統治する君主国との競合で劣位に立つことになる。
  • 原因の一つに、火薬革命による大砲の導入つまり軍事上の技術革新。 大砲の製造には鉱山が必要でイタリアは減量生産地から遠かった。陸上輸送も困難であった。
  • 強力な攻城砲の登場で城塞は無力化されたため、小規模の都市国家や領邦国家は弱体化した。

要塞の築城術による イタリアの復権
  • しかし、15世紀末、イタリアは盛土の塁壁と堀を設けて攻城砲に抵抗するという画期的な築城術を開発。
  • 大規模な野戦軍に対して長期間抵抗できたので、西ヨーロッパでは地方勢力が温存され、 ヨーロッパ全土を統一するような大帝国の出現は阻止された。
  • ちなみにアジアや東ヨーロッパはイタリア式築城術が伝わっていなかったので 「ムガール帝国」「モスクワ帝国」「オスマン帝国」という火薬帝国が急成長した。

西ヨーロッパの技術革新 による世界帝国建設
  • しかし、大帝国は優位性に甘んじて技術改良を怠った。
  • これに対して西ヨーロッパは各地方勢力間で競合が続き兵器の改良を続けた。
  • その結果、政界的な帝国建設を可能にした。
  • ヨーロッパ内の戦争はイタリア式築城により攻略を難しくし、軍隊の規模を大きくするため費用がかさんだ。
  • スペインのフェリペ二世の借金元利支払いの停止を余儀なくされた話は有名。

市場経済の発展
  • 国王でも指令による資源動員が困難であった。それは国家の範囲は細分化され、権力が及ぶ範囲での調達が困難だったから。 例えば大砲の調達地域は司教の管理する地域であったため、徴税や強権は通用しなかった。
  • 従って市場を介して人的・経済的資源を動員するために国王が銀行から借金をした。
  • しかし長期的には国家の権力を強化する方向に働いた。
  • 民間企業が国境を超えて貿易や製造を行うことができたことで「規模の経済性」が発揮され、経済規模は拡大した。
  • その結果、徴税基盤も大きくなった。また国家が民間からの借り入れによって資金を調達することで、税収以上の資金調達や支出が可能となった。
  • これは「指令志向型」と「市場志向型」の行動様式の併用で、これにより国家が強大化し市場経済も拡大した。=国家の拡大は市場の圧迫ではなく市場の発展を伴った。
個人的に補足するならば、戦前に日本が国家予算を顧みずに投資をして近代化した満洲、台湾、(無駄になった)朝鮮半島の発展のための投資は、単なる資源を求めて大陸へ渡ったわけではなく、ここで説明した通り経済発展のための「規模の経済」の構築という壮大な計画があったものと思われます。したがって八紘一宇という思想は国民の一致団結を得るためのものであって、国家予算を使った投資は「戦争の技芸」によって勝利を得たからこその領土の拡張の後の、経済発展というナショナリズム的合理性のあったものであったということになるかと思います。ようは当時の日本の国家運営は相当レベルの高かったものであることが証明されたかとおもいます。これも「歴史に学び根本を理解する」ということでございます。


重商主義と経済政策
  • 「重商主義の要諦(肝心)は、国家の軍事的・政治的な力と経済的豊かさは相互に補強しあう関係にある。」

軍国主義の第二期 「戦争の技芸」
  • ドイツは16〜17世紀、長場にかけ宗教改革による新旧の対立の激化により戦争状態であった(30年戦争)
  • 戦争前は政治的管理権が、都市、協会、領邦君主、帝国の間で重複していたが、領邦君主が実効的な領域主権を確立した。
  • この戦争により「戦争の技芸」に革新を引き起こし「軍事の商業化」がドイツに波及したのである。
  • 領主や国王が、企業家的な事業経営による財力を基盤とし、高度に起立された軍隊を駆使するという戦術的な革新を起こし成功した。
  • オランダのマウリッツ公が導入した「戦争の技芸」による革新は、兵士に対する組織的なスキルの鍛錬である。 ヨーロッパで初めて士官学校を創設し、指揮命令系統の元で動く軍隊、近代的な軍事組織を確立し、個人の天性や体格に頼る戦い方を誇る騎士の武勇を過去ものものとした。
  • これにより国王は、貴族階級を圧倒する軍事を、失業者、赤貧の農民の息子を軍人へ改造することで成し得た。 つまり組織的暴力が国家という公的主体によって独占されるようになった。
  • その結果として、国内の治安は良くなり、国府は増大し税収が伸び、ヨーロッパ諸国は税収に頼って常備軍を維持できるようになった。
  • 国を治める策の肝心であった。つまり19世紀まで各国の王侯たちは、組織的暴力を官僚化し、市民社会の中にあっても衛生無害なものにすることにめざましい成功をおさめ、治国策の要諦であり続けた。

軍国主義の第二期 「治国策の要諦」
  • この治国策によってヨーロッパ諸国はヨーロッパ以外の世界に対して「経済」や「軍事」で優位に立ち、帝国主義的に支配し膨張した。
  • 海外貿易の持続的成長で、常備軍の維持負担を容易にした。
  • 海外膨張は「市場志向型行動様式」(資本家や企業家の私利私欲の追求)によって扇動されたが、 この民間行動を保障したのは「指令志向型行動様式」(国家の軍事機構)であった。
  • ヨーロッパではすでに14世紀以降、国家の軍事的な動員は、商業・金融市場に依存するようになっていた。
  • 17世紀半ばのイギリスやフランスの国王たちは、資本家や企業家たちと良好な協力関係を結び、海外事業を展開した。

軍国主義の第二期 「地政経済学=重商主義」
  • 指令志向型と市場志向型の行動様式の融合、つまり国家の指令が市場における経済活動に影響を及ぼすようになった。
  • ここで始めて経済運営のための経済政策という発想が登場した。つまり「重商主義」※つまり経済政策のルーツである。
  • 一般的に重商主義とは、貿易の経常収支の黒字として得られる貴金属を国富とみなし、保護貿易や産業育成策を進める経済政策と理解されていた
  • しかし経済学者のジェイコブ・ヴァイナー曰く、「重商主義の要諦(肝心)は、国家の軍事的・政治的な力と経済的豊かさは相互に補強しあう関係にある。」と論じた。
  • つまり、我々の目指す地政学と経済学の統合理論であって、重商主義は地政経済学の源流である。
重商主義を簡単に補足すると、16世紀末から18世紀にかけて西ヨーロッパ諸国において支配的であった経済思想とそれに基づく政策。 自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によって資本を蓄積して国富を増大させようとするもの。 輸出が多ければ対外純資産が増え国富となる、つまり国家を意識した経済政策でもあった。

重商主義批判
  • アダム・スミスが創始したとされる近代経済学は、重商主義批判から始まったとされる。
  • 重商主義者は貿易黒字で得る貴金属の量を国富と同一視、保護貿易や産業育成の経済思想であり要諦としては国家の軍事的政治的な力と前者は相互に補強し合うというまさしく「富国と強兵」すなわち地政経済学の理論によるものだったが、「国富論」でこれを批判した。主流派経済学はこれを出発点としていた。が、
  • しかしながら主流派経済学の弟子の彼らは間違った解釈をしていたわけで、宗主アダム・スミス自身は、国家による富の追求と力の追求が相反するとは考えていなかった。彼が拒否したのは重商主義の富の概念(貿易黒字で得る貴金属の量を国富と同一視)である。
⇨これを補足すると、古典派経済学者はバカしかいないので、国家は悪さをする政治は大衆に媚びを売るから問題だという意味不明な前提により、国家が財政投資をするのは間違っているという、個人主義に則ったバカ学問の理論構築が出来上がってしまい、彼らが目指しているのは、個人(リベラル)という単一にした原子論なわけです。国家否定論者でもあるわけです。
なので彼らの学問は多くの人の行動様式を主体とした社会基盤では通用しないのですが、なぜか常に主流経済学として政府に取り入れられているわけです。おそらくはロボットのように数式が決まればそれで問題解決すると彼らは考えているからですね。単なる指標を計算しただけなのに解決策だと勘違いする短略的思考の持ち主でなければ、こんな意味不明な学問を研究する気などおきえません。例えば政治に取り入れた頭の悪い国で言えば自民党の新自由主義路線の小泉構造改革や、アベノミクスが典型ですね。多くの国民を経済弱者にして殺しました。


地政経済学の目指すもの
  • 後継である古典派経済学はこの「国家による富の追求と力の追求」という大前提を見失ってしまった。
  • 我々が目指す「地政経済学」とは、このスミスと重商主義が共有していた「国家による富の追求と力の追求」という「大前提」を回復する試みなのである。
  • この力と富をと同時に追求するヨーロッパ諸国の重商主義は、ヨーロッパの近代化を推し進める原動力となったのである。
  • ヨーロッパの重商主義国家は、国家の栄光を追求して戦争を行うと同時に、軍事力を支える基盤の経済力を増大させることに邁進した。
  • それにより、通貨の統一、法整備、インフラの整備による国内市場の創出、繊維製鉄兵器などの 官営工場設立のような産業政策、国土の開発、治安維持、防災、防疫を行なった。
  • そうすることのインセンティブは、税収と軍事的マンパワーに対する脅威から来るものであった。 1750年以前は、人口成長が鈍化し、国家の野心にとって足かせとなったので、一層強く働いた。
  • 重商主義とは、狭義の経済政策にとどまらず、国土政策や交通政策や厚生政策にまで及び、まさに国家政策の源流といえる。
  • 各国が競合する中で、重商主義の政策成功事例は模倣され伝播していきヨーロッパに近代的な国家が形成されていく。

主流派経済学の問題
  • 自由市場を称揚(マンセー)し重商主義を否定してきた。そして経済学から密接であった地政学を消去した。
  • しかし歴史が明らかにするところでは、近代的な自由市場とは、重商主義の産物なのであり、 重商主義は国家間の地政学的対立の中から編み出されたものである。
この主流派経済学というのは一般均衡理論をベースとしたミクロ経済学ですが、人の進歩を止める学問いや衰退させる学問であるのは、第一次産業の英国の没落や、日本の現状の没落を見ればわかるとおもいます。全てはエビデンスですが、経済の場合はエビデンスが提示できるほど没落したら終わってしまいます。

重商主義

アダムスミス








「戦争が革命を生む」「戦争とナショナリズム」についてどういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめたものです。

そして、ナショナリズムの成立の原点について、戦争プロセスという視点において、地政経済学つまり富国と強兵の妥当性を証明することを試みています。

戦争が革命を生む
  • 歴史学者のマクニール曰く、フランス革命※の最重要因を人口増加に求めている。
  • 18世紀半ばからフランスとイギリスは急激な人口増加が起きた。
  • 人口増加において食料や雇用が追いつかなくなった都市では暴動が起きた。
  • フランスでは、国民皆兵によるフランス革命とナポレオン戦争で、マンパワーを吸収。
  • イギリでは、商工業の発達による産業革命で、マンパンワーを吸収。
  • イギリスもフランスも、「指令志向型」(国家強制)と「市場志向型」(資本・民間)の混合対応によって、人口過剰の危機に対処した。
※フランス革命はみなさんの方がご存知だとは思いますが、簡単に解説すると、国民が苦しんだとされる絶対王政を、啓蒙思想もあるよということでその考えの君主制国家にして民主を反映した政治体制にしようぜということで、モンテスキューあたりの思想もいいよね、ということで市民が立ち上がった目的は、悪政により様々な特権階級と、一般庶民の格差が酷すぎたことにより、これではダメだということで怒っていた市民が立ち上がったということです。
けして思想で人が動いたのではありません。止むに止まれぬ事情があったということです。
個人的には民主制というのは、人間がもともと持っている願望や主義主張、正しい政治制度ではなくて、特権階級と労働者の格差が拡大してしまう絶対主義へのアンチテーゼから生まれたということを、フランス革命を通して理解しております。

どんな統治制度も完璧はないってことです。そしてお天道様が見ているという道徳精神の有無で大きく方向性も変わってくる。そう考えられることがその人の道徳であり人間性であり根本を理解しているということですから、つまり統治する人で変わるんです。それが民主制だろうが専制だろうが。


地理的要因 マッキンダーの地政学
  • イギリスは市場志向型(民間商業市場的機構)に重点が置かれたのは、海に囲まれた立地環境から余裕を持って資源動員を選択することができたから。
  • フランスは指令志向型(軍事的機構)に重点が置かれたのは、大陸であったため隣国との地政学上の緊張などがあったから。
マッキンダーは、逆第二イメージ解釈による地理的観点で、イギリスとフランスのように地理的環境が「国内体制の有り様」を決定づけることの分析を示しました。
 
ヒンツェの洞察
  • 戦争や戦争準備の圧力が国家のあり方を規定するとヒンツェは洞察しました。さすればフランス革命と産業革命の原因には戦争があったということを見逃すことはできない。
このヒンツェの洞察は大変重要な論点であり、これは後にバイデン政権で行われたパンデミックとの戦争において国家国民を保護するために積極財政をしたことについて、戦時高圧経済と称された。


スコッチポルの研究 「国家と社会革命」
 ヒンツェの歴史社会学継承者のシーダ・スコッチポルによる、ヒンツェの理論が正しいことを立証した研究結果(フランス・ロシア・中国の比較研究)によれば、
  • 革命の勃発は戦争という圧力がきっかけとなっている。
ルボン朝⇨七年戦争⇨フランス革命
ロマノフ朝⇨第一次世界大戦⇨ロシア革命
■清朝中国⇨日清戦争⇨辛亥革命
  • いずれも戦争による負担増と財政の立て直し、近代化、隣国や大国からの外圧により、政治改革が必要となる。
  • そのため、国家を支配層(地主階級)の反発を招き、行政・軍事機構が崩壊する結果となり、下層階級による社会革命を誘発した。
スコッチポルのこれらの理論は、社会革命の「逆第二イメージ」的解釈の提示であった。
実際にはこれは正しくて、フランス革命運動が起きて革命が落ち着いたのは、プロイセンなどがフランスを攻撃し始めたことで、戦わなくてはならないという軍事的背景により、その軍事体制を整えるために、かの天才ナポレオンが沈静化して国家を立て直したことからも見てとれる。常に戦争圧力があったということで、ナショナリズムが働いたとも言える。この国がなくなったらどうするんだ、民衆を弾圧したままでいいのか。という国民統合一致団結が発揚されたと私は解釈しています。なぜなら革命とはカードを裏にするだけの単純なことではないからです。為政者の不安と民衆の不満が合致する何らかの大きなベクトルが働いた、それは戦争という圧力が最大の要因だったのは事実なようです。
ここに左右思想という概念はなかったかと思います。生きるために国家をちゃんとしようよ、というのをみんなが感じたんじゃないかと。
みなさんはどう思いますか。


「逆第二イメージ」的解釈
 おさらいだが、「逆第二イメージ」とは、1970年代の歴史社会学で「国際関係の圧力が国家を規定する」という現実を直視した視点である。 それは「国家が国際関係を決定する」という、近代国家の形成過程の解明であって、 「国内の経済構造が、地政学的な国際情勢によって影響」され、 その逆に「地政学的な国際情勢が、国内の経済構造によって影響される」という「逆第二イメージ」の視点で 相互作用を解明する理論こそ「地政経済学」と呼ばれるべき理論が目指す地点である。
  • フランス・ロシア・中国の革命は、思慮ある行動でも、自称革命家によるものでも、旧体制の強力な政治勢力によるものでもなく、 「帝国が激化する軍事競争・海外からの侵略」と「農業社会的な階級構造と政治制度が君主制の対応に課した制約」という、 二つの圧力の結果であり、革命的政治機構が勃発し、行政機構・軍事機構の崩壊に至った。
  • ホーエンツェレルン家プロイセンや江戸時代の徳川日本でも、国際紛争の圧力はあったが社会革命は起きなかった。 なぜなら、より官僚制的であったからだ。従って権力闘争はエリート層にとどまり、階級間の闘争には発展せず、 社会革命を引き起こすまでには至らなかった。
 
戦争や国際圧力の負荷に耐えられる国であるか
上述のことを踏まえれば、
  • 国内構造(政治・社会構造)が耐えられる場合、国家を形成したり・改革したりする。
  • 国内構造(政治・社会構造)が耐えられない場合、国家の崩壊や革命が起きる。
 
外発的根拠
外発的とは外部つまり他国の戦争圧力のこと。
  • 日本では、黒船来航などの国際関係の圧力に幕臣体制が耐えられずに明治維新が起きたが、近代化は外発的であった。
  • フランス革命は、イギリスとの戦争という国際関係の圧力により旧体制が崩壊した外発的な革命である。
  • ヨーロッパの近代化は、国家間の紛争を圧力として進められてきた。もっと言えば、近代化というもの自体、国際環境の圧力から外発的に生じたものなのである。

  
戦争とナショナリズム

マス・アーミー(国民皆兵)の誕生
  • 地理的・政治的・経済的要因が相まってフランス革命が勃発し、ブルボン王朝は崩壊した。
  • 革命の結果、国民の徴兵によって組織された陸軍が誕生し、軍事組織の革新が行われ、飛躍的な大規模化を遂げることとなった。
  • マクニールが明らかにした、この「戦争の技芸」の革新は、国民国家という新たな国家構造の形成を促したのである。
 
軍事教練の導入による団結意識の形成
  • マクニール曰く、「マウリッツ式軍事教練」の導入により心理的・社会的効果が発見されたという。
  • これは何かと言えば、軍事訓練において、集団で長期間拍子を揃え手足を揃え筋肉を動かすと、非常に強い社会的紐帯が生まれ、共同体を形成できる効果がある。
  • 原始社会では、大型獣の狩りで必要な集団行動を可能とすべく、踊りでリズム運動を通じ仲間意識を強化していた。
  • この14世紀に勃興した軍事教練は、人類が持つ社会性の原始的な本能を活用しもので、第一次集団的な共同体を人工的に作り出せることを発見した。
  • 19世紀でも軍事教練による共同体の連帯意識を元に、ヨーロッパ諸国は国家による徴兵制によりマス・アーミーを組織し共同体という士気の向上を目指した。
ここは補足は不要かと思いますが、チームプレイを必要とするスポーツの部活なんかに見られる光景であり、同じ行動を取るということが同じ社会で活動をするという意味では、労働者の、特に連携しないと危険が伴う建設現場では、全員で朝のラジオ体操はやっておりますし、休憩時間などの時間区切りなどにも行動パターンの規則性を合わせる目的が見られる。同じ目的意識と統一性により団結をする仲間だという認識が生まれるのは、「同じ釜の飯を食った仲間」などと日本では表現されます。
 
マス・アーミーと国防意識の教育
  • ナショナリズムは、その「生命の危険な任務」に動員するための原動力となる。
  • 国民皆兵を実現するには、学校教育を通じ、標準言語の修得によるコミュニケーション促進、国の歴史や文化や地理を共有し、愛国心を称揚(褒め称え)するのである。
  • 徴兵後の軍隊生活のなかで国家の存在を強く意識させられることとなる。
ここはみなさんも何となくは理解できるかとおもいます。ナショナリズムは強要されるものではなく自発的でなくてはならない。ですので我々が記した憲法制定には、徴兵制ではなく、真のナショナリズムを理解する教育により湧き上がるレベルで、危機意識を持って国防の重要性を理解して、自ら手を挙げるレベルにまですることが重要であることを記載させていただきました。ただたんに金を渡して戦ってくれでは傭兵に依頼しているのと変わりがないので、いざという時には弱いですよ。モチベーションという意味で。そのナショナリズムが湧かないのであれば国防なんてやらなくていいです。守れないんだから。


本能に響くナショナリズム
  • しかし、いくら形式上の愛国の教育を受けようと、軍隊の原始的な社会性(筋肉を動かし共同体連帯意識を強化する)を伴ったとしても、生命の危険を伴う任務を遂行するのは困難であろう。
  • アンソニースミスが指摘した、ネイションは「想像の共同体」以上に強く感情が揺さぶられるものとして経験されるものであった。
  • 宗教社会学のデュルケイムは、社会の統合には聖的な象徴が必要とされることを明らかにした。
  • つまり、ネイションとは、聖的な象徴によって統合された近代社会なのである。
  • マクニールによれば、軍事教練法が強力な動員力を発揮したのは、原始社会性の本能に訴えかけたことが共同体連帯意識を強化することに成功したという。
  • これと同じ類のことが国民国家に言えることでもある。
  • ナショナリズムが近代の人工物でありながら、長い歴史に根ざした自然な感情であると経験するのも、それが原始社会性の本能に響くものだからであろう。
これらは誰にだってわかるかと思いますが補足するなら、
ネイションとは国民や共同体つまり国民国家のことであり、これより大きい領域と要素は地球や宇宙になる。そして国民主義とは「ネイション+イズム」で「ナショナリズム」です。
国家主義とはステートイズムですので、ナショナリズムとは違い全体主義や専制主義のことです。つまり国家主義とは実にくだらないし、個人主義つまりリベラリズムも実にくだらない、国家が続くという観点からね。ということでして、
そしてこれらを我々民が渇望しなくなり、失ったときに、真のナショナリズムは終わる。
そして、我々日本人が聖的な象徴により統合され、ナショナリズムの精神を安定させるのは、我々国民のために祈り、この国家を作り、日本人の心の奥底に眠る「国民統合一致団結の精神」を呼び起こさせてくれる存在は、天皇であることは否定できません。
私は小学校の時に陛下を目の当たりにした際に、その神聖的なものを感じ感動した思い出あります。優しさに満ち溢れていたからですね。これが国民を思う氏子の精神に触れたということなんですね。
これが聖的なものに触れた私の高揚の思い出です。
 
戦争を通じ国民国家へと収斂(しゅうれん)していった
  • ナショナリズムを駆り立てるマス・アーミーを、一部の支配層は驚異と感じ導入しなかった。
  • 結局は戦争や紛争や緊張の圧力により、軍事力の動員のため国民との交渉を余儀なくされた。
  • 結果的にナショナリズムが「統治を正統化するイデオロギー」として支配的になった。
  • こうして戦争から産み落とされた近代国家は、戦争を通じ「国民国家」へと収斂(もしくは集約)していくことになった。
グローバリズムが台頭し、富裕層は格差拡大を望む。
これを政治が主導している。
だから私は中野さんを通して偉大な歴史学者の言葉を受け止め拙い文章で、みなさんの聖的なアイデンティティによる大和魂に国民統合一致団結を呼びかけ、日本が終わることへの警笛を鳴らしています。
みなさんはどう思いますか。


富国と強兵
 本章では、近代というものが「市場志向型」(富国)と「指令志向型」(強兵)の有機的な相互作用の過程であることを確認した。


天皇と国民

国家とは。
ナショナリズムとは。
国民統合一致団結とは。


この写真を見ればわかる。戦後国民を心配し続けた陛下の広島巡幸時の国民高揚が全てを物語っている。
マッカーサーは、なぜ天皇が国民から父と言われているのか理解した。
この国を占領しようとしているものが、占領しようとしている国家の主に尊敬の念を抱いた。
この強烈な日本のナショナリズムは稀有なものであり、神聖不可侵の領域であったと言える。



ーおわりに:編集後記ー
いかがだったでしょうか。冷静な客観的事実とともに国家ナショナリズムに必要なのは聖的な神聖不可侵な要素が必要なことも歴史から紐解きましたね。

いちいち世界を見なくても大東亜戦争までの日本を見ればわかる話でもありますが、その記憶がごっそり消されてしまった。

そこの国民意識までに戻すまでには、こういった一つ一つ事実をもう一度積み重ねていくしかありません。
こう信じればいい文献がないんだから、ではなくて、ヨーロッパも日本も同じ経緯を辿っていて、日本という国は、すこしだけすごい国だったんだよというのを理解して欲しかったわけです。それを論理的に言語化できていた書物は、中野剛志さんの社会科学の書を借りなければできませんでした。


色々難しかったと思うのですが、「地政経済学」について少し補足しておきます。
これは国家が隣国を気にせず理想的に国際関係を決めるとかではなくて、現実には隣国との緊張によって決まるわけですというのを明らかにしたものです。

そして経済政策(財政政策)が普段から緊縮だが、積極にせざるを得ないのは戦争圧力によるものであり、本来はその軍事バランスを保つために普段から積極財政をするべきだとおもうのですが、

「戦争を避けるために財政支出をしない」という恐ろしい考えを持ってしまった愚かなTPPを推進してご機嫌とりを始めた自民党政権与党と、

日米に恨みを持ち続け、覇権国家を目指す中国。その目的のために積極財政により成長し、大きくバランスが崩れて戦争に至るハードルが低くなってしまうのは、い今の情勢をみれば明らかですが、その前にそういう分析をなぜできなかったのかということですね。

逆第二イメージがあったのにも関わらずやらなかった。というか誰が考えても今の政治はおかしいです。

ですから2022年現在では、経済成長と国防増強の格差が5倍に開いてしまい、尖閣は占領されてしまい、日本の領海にミサイルを打たれてしまう状況に陥ってしまいました。

日本と中国の軍事プレゼンスとかいうよりも、経済的格差が拡大してバランスが崩れ、なめられているといったほうがわかりやすいでしょう。

従ってもう戦争からは目を背けられません。この文言を書いたのは前回リリースした2年まえの感想ですが、何ら変わってません。

なんならそういうことにならないように普段から準備をすることが命題になる。もう限界にきている時期に、論理的に説明できる考え方が必要でしょう。

それは、「現実を見てナショナリズムを理解して分析し、プラグマティズムに対処する」ということです。

経済なんて関係ないということは、結果として、多くのことを分析できていないことであり、根本を理解していないということです。これらの説明でどれほど経済は地政学と合わさって戦争がおこる要因となりえるということが理解できるはずです。

合理的な「こうあるべきだ」という教典が先に立ち、社会は失敗してきたわけですが、それを正した考え方が「逆第二イメージ」だったわけです。いやもうご承知の通り危機的状況なわけですので遅いと思っていますが、それでも諦めずにやらなければなりません。

地政経済学を皆が理解すれば、自民党のような統一教会の要望に応え、外資からの献金を欲しがり、財務省に忖度してもらうために、緊縮をする、このようなアンチ・ナショナリズム売国政党など選ばれるはずもありませんよね。それは国民が本当に理解していないからだと思います。


私はこの「富国と強兵」を読んでとても驚いたのは、国家やナショナリズムやらという概念は近代で必要に応じて醸成されたものであって、それではなぜ受け入れられたのかと言えば、その国に住む国民にとっては必要だったものを与えただけだったということです。

これにより国家が国民統合一致団結よる相乗効果を発揮していたんだということです。だから明治の政府はなんとか国家基盤を作れたんだと思います。

神聖不可侵である天皇陛下を君主とした、国家作りにより、立憲君主制を導入し、貴族院の直接民主制と、選挙の間接民主制により、国民の思いを反映させる。

ナショナリズムを前提とした国家作りだったかと思います。もちろん賛否両論はありますが、プラッシュアップはしていたと思いますね。

さて、この民族精神に呼びかける聖的なものを間違ってはいけません。
ですので神道にまとわりついて政治的活動をしているのは、カルトです。

なぜなら、神道は宗教ではなく道です。それでは道とは何なのかと言えば思考することです。

人は「道」を歩いていかなくてはならないわけで、それにはあなた自身の思考から判断される「プラグマティズム」によりこの道を進んでいくしかないのです。これを誰かに依存し巻かれ流されるから大衆に成り果ててしまうのです。

宗教の場合はまっすぐ歩いて崖があろうと落ちても神の思し召しという真理で片付けてしまう。
もうそういった一神教の教典や、神道を利用した金儲け組織のカルト集団を信じて、自分の人生をおろそかにするのはやめましょう。

お天道様は見てますよ。これもまた道という言葉を使っているわけです。

あなたを救うのも、あなたが納得するのも、あなたの心や脳みそです。これらを思考といいます。
心に響くというのは記憶に連動するから感動したり親近感がわくわけです。
救われたいならいい本を読みましょう。誰も絶対的な解決策なんて持ってないですって。神に携わる聖職者と呼ばれる人も肉は食い酒も飲み高級車に乗り高級時計をしているじゃないですか。俗世に浸かっているんですよ。彼らもただの悩める人間なんです。この人たちが真理を語るとかあったとしたら嘘だわ。彼らもそういった宗教商業主義を広めるための誰かが作ったマニュアル教義を覚えているだけですよ。朝早く起きたからなんなんなんだよ。山に入ったからなんなんだよ。装束を着たからなんなんだよ。神の思し召しって言ったからなんなんだよ。この霊的な壺を買ったら救われるって馬鹿なのかよ、知るかボケです。

宗教を例に言いましたが世の中「こうすればいいHowTo」ばっかりじゃないですか。
人が行動をするにもマニュアルばかり。恋愛もマニュアルがあり、誰かの決めた成功するかわからなん合理的な真理があると人間は楽なんですね。それを信じこうもうとすることが洗脳を受け入れることなんですね。



これで今回の目的は達成しました。きちんと説明できたとおもっています。
なぜわたしが中野剛志氏に感謝するのか。それは、過去の先人たちの客観的な事実と分析を神がかった洞察力で生きた実学としてまとめてくれているからです。


ちなみにですね、ナショナリズムについてちゃんと説明できるってすごいことだと思いますよ。
人の生を語ってしまうのと同じくらいね。

国が富み、兵が強くなる。この意味を多くの国民が理解した時にはじめて民主制という政治体制が機能するのだと思いますね。お天道様がみているんだぜってね。

ここまで読んでくれた方、お疲れ様でした。






ポランニーは現代の問題を解決したい人には絶対読んでほしいですね。まだ私も途中なのでこれを紹介するかは乞うご期待ですが、実際にはこういった本は社会学経済学を学べる貴重なものですから、手にとって理解することが重要になるかとおもいます。





毎回まともな国家観を持つ我々を、ワクワクさせ絶望させ希望を持たせてくれる、現代の賢人の中野剛志さんの新作でましたー。

これは今の経済及び地政の問題の解説と解決策を提示しています。とういよりもプラグマティズムの精神なんですけどもね。








中野さんの新刊出ましたね。社会科学を学べます。いま官僚制や合理主義について早速欲しかった情報が学べております。



すべての経済に関わるもの、為政者に読んでいただきたいですね。あ、志が高くないと途中で読むのやめてしまうかもです。地政経済学で世界関係を推し量る人が増えました。ナショナリズムというものを学ぶにはこの一冊。




公と民の関係性と為政者の哲学、国民統合一致団結、プラグマティズムな考え方で根本を理解できるようになるからこの本は不思議です。私自身もこの本によりいろんなことが見えてくるようになりました。一番読んで欲しい本かもしれません。




マキャベリズム、専制政治、民主主義、解放ではなく自由、個人主義ではなく個人の尊厳、それらを履き違えた全体主義、そういった人間と共同体の根本を問いながら、戦争の戦術と人間の駆け引きと、世界とはこうやって動いているという歴史の累積をまざまざと見せつけられる。
私はアマゾンプライムでどハマり中です。ラインハルトとキルヒアイスとヤンウエンリーに会いたい。




経済を語るなら最低限理解しておくべき本になりました。
ただありがちな翻訳がいまいちなんだという声がちらほら。


こちらクリックしていただけるとブログによる周知・拡散力があがります。ご協力よろしくお願いします。


人気ブログランキング