最初聞いた時は、我らの中野剛志は、普通にMMTの周知としてコロナ危機におけるあるべき貨幣感と財政出動救済策の正当性を周知するのだろうと思って観ておりましたが、びっくりしました。それはなぜかといえば、現代貨幣理論は単なる事実を体系化した法則に対し、「メタ理論が弱い」哲学が弱いとの主張から始まったからである。
おっと何が始まったんだろうと思いました。
これブログにするのに文字起こしは大変なので参考にできる情報はないかググったら、すでに文字起こしされている素晴らしい方がいらっしゃいました。本当に感謝です。反緊縮の方は本当に献身的だなーと泣けるわけです。
冒頭から
近年主流派マクロ経済分析にかわるマクロ経済分析が発展し、おおきな論争をまきおこしています。
その争点のほとんどが、貨幣の起源、税の役割、財政金融政策、あるいは就業保証プログラムのようなMMTが提案する処方箋についてです。
しかし、メタ理論レベル、すなわちMMTの哲学的基礎をめぐる論争というのはきわめてまれです。それはおそらく最近の経済学者は経済理論の哲学的側面にはほとんど興味を示さないという事情と関係しているのでしょう。
主流派経済学では数学的、演繹的モデルに依拠するのが当然とされていますが、その数学的、演繹的方法の存在論的な前提条件の一つは原子論、あるいは個人主義、すなわち社会は孤立した原子論的な行動主体によって構成されているという見解です。
他方でMMTがどのような哲学的基礎のうえに成り立っているのかははっきりしません。
しかしながら、MMTをより整合的な理論にし、主流派経済学の支配的な地位を根底からゆるがすものにするためには、その強固なメタ理論的基盤を示しておく必要があると考えます。
本日の私の発表は、MMTを支えることのできる哲学は「プラグマティズム」であることを明らかにすることを目指します。
ここで全ての結論を言っていたわけですね。
そしてそのメタとしての論証である文言を紹介しますと、
重要なのは、商品貨幣論と信用貨幣論、あるいは外生説と内生説、この違いは存在論的だということです。すなわち前者は貨幣を独立した原子論的な物体とみなしているのに対し、後者は貨幣を社会関係の一種とみなしているのです。
この貨幣観の違いは、経済理論の哲学的背景の違いからくるものです。説明しますと、主流派ミクロ経済学のメタ理論的基礎は、原子論、あるいは個人主義です。
つまり、人間を独立した合理的に効用最大化を行う個人と仮定します。
裁量的なマクロ経済運営が、ミンスキーやMMT論者が強調するように経済的不安定性とは無縁ではいられないと言うのは事実です。
しかし、反対の極端、デューイの本のタイトルを使って言えば、「確実性の探求」へと走るべきではありません。と言うのも、多くの複雑な社会的相互作用の過程から成り立っている資本主義経済は、流動的かつ不確実であるため、合理的なマクロ経済運営における、裁量の役割を完全に排除することはできないからです。
ここで、実体経済における経済学を含む社会学者としてのアプローチとして、中野氏が常日頃重要視している、主流派の「合理性」が間違いであるこという反証と、MMTが「不確実性を解決するため」には「社会に実装するためのプラグマィズム」であるという理論武装をしたわけですね。
ですが、様々な憶測が飛び交うでしょう。
JGPについての論争も見ました。
しかしそれはMMTという理論から導かれる実現可能な公共政策、つまり「ポリティクス」です。
そこは本質の議論にはならないんだと思います。
MMT理論にしたがい「供給力を超えすぎないインフレ制約」の範囲の中で通貨創造をして政策を施行することは、許容範囲であるわけです。問題は市場が活性化するであろう供給力と需要のマイルドインフレ調整バランスをいかに保てるか。
MMTポリティクスとしてのJGP(雇用保証プログラム)というのも、不況で労働者がJGPに流れてくると、政府支出は増え、好況で民間部門がJGPから労働者を雇えるようになると、政府支出が減ると言うことで、「インフレ抑制策」としての提唱であることは「金本」で学ばれた方は理解されているものと思います。(金本を読まれた方はなおさらですね)
わたくし個人は日本の国体論を基調とした「国を維持メンテする保守の考え方」であり、国の政治的アプローチである立法や公共政策を行うものの資格としては、国家観があるかないか、ユートピア思想はユダヤ教の破壊後の世界を追求することであると考えており、あってはならないと考えています。しかしそこに多様性を見出すのであればリベラルという自由解放思想ならではなのでしょう。
私レベルでもべき論は持ち合わせているわけでございますから、◎◎派などの分断や嫌悪の根底の対立はここにあるのだと思います。
しかしながらよく考えてみれば、MMTは単なる貨幣の法則であり貨幣の事実を精緻化したマクロ経済の中の理論体系ですから、法則自体を変えることは不可能です。
そこをイデオロギーで分けるのではなく、社会に適合させる時に手法が変わるともいえるでしょう。それが社会に実装するためのその国の公共政策のあり方なのでしょう。
そしてそんな論争について中野さんが明確な解を提示したのです。
「プラグマティズム=社会への実装化」です。
ここには宗教ではなく社会にいかに適合するかという「道」を追求するものとして定義してしまったのです。これは誰も否定できません。そんな理論に対する理論付与だったわけです。
これは中野先生の「日本思想史新論」を読めば理解できるわけですが、温めていた、つまり我々が驚かないよう常態化させていたものであると勘ぐってしまうわけですが、
このプラグマティズムという実学を要約すれば、「理論や信念からはなく、行動の結果によって判断しよう」ということであり、これを政治哲学に置き換えれば公と民の仁愛精神の政治の(道)を追求することです。
つまり日本の長きに続く国家に基づく国体論や道徳論を形成してきた、我々の生きる社会への適合手段の最適解を、反証を重ね確立させたのだと思います。
おそらく「プラグマティズム」を理解すれば誰も反論ができない論拠であると私は思います。
それは至極当然な科学的根拠ともいえますね。
調子に乗って哲学的に語ってしまったが伝わってますかね(笑
そして結論づけた一説ですが、
結論、今日の発表ではシンボリックインタラクショニズムを含むプラグマティズムは、信用貨幣論と機能的財政というMMTの二つの重要な要素に対し、適切な哲学的基礎を与えることができるということです。
そうすることで、MMTはその批判者のみならず、提唱者ですら思っていた以上に整合性のある理論的体系を持ちうるものであります。
これでなるほどと思いました。
また目から鱗を落とさせる気かよ中野さん!
彼の本当の目的は、いまだに幅を利かせている鬱陶しい「主流派経済学の息の根を止める」ための理論の理論を確立して社会的に浸透させることを提唱したわけです。
この波紋は大きいと思います。全ての人が納得して噛み砕いて使用していくのだと思います。
いやそうあってほしい。それにより世界が変わってほしいと切望します。
急にはコペルニクス的転回(パラダイムシフト)は起きないことを歴史から理解していた。
これが感情的にならず冷静に歴史から学び事を起すということなんですね。
それにはメタが弱かったと中野さんは思っていたことへの最終的アプローチという「180°クルリンパ」を見せたわけです。
だからこそ、提唱者であるレイがいる場で、この哲学強化の提唱をする必要があったわけです。
中野さんとMMTの関係は、日本で公の場で紹介した人物であり、この法則の可能性をどうやって世に広めるか試行錯誤をした。
強力な武器として大衆にいかに浸透させるか。
それは敵対側にぐうの音を言わせない圧倒的な武器が必要だとの結論を見出していたのだとおもいます。勝つために。
どういう事かと洞察してみるに、中野剛志という男は、
まずシンプルに「貨幣の事実」であることを紹介をして社会の反応を見た。それだけでは終わらず、弱点を分析し、何が必要だったのか強化策を着々と思考していた。
ここがポイントです。
その結論が(いやもしかすると初めから気づいていたのかもしれないが)「メタ理論強化」であり、そのブラッシュアップをするという結論に至ったのだと思います。
それがMMTというマクロ経済学の中の貨幣理論をスタンダードにするものだったと読み取れるわけです。
異端のマクロ理論と言われることに辟易していたのかもしれませんね。
つまり社会に浸透させるプラグティズムという実装哲学により社会浸透戦略を画策した、ある程度の成否の議論が起きて皆が「どうすればいいんだろうね」という思考に変わった時に「重要な最適解」を投じることを狙っていたのでしょうか。
おらワクワクすっぞ。
あのさ、あるべき世界を想像してごらんよ。
なんで助けられる命も緊縮だからといって助けないのよ。
それってさ、インフレ恐怖症で財政介入を悪とみなしている「主流派経済学」の洗脳が幅を利かせているからでしょう?
宗教じゃないか、これでは、戒律を守りなさいってなんだよ。
それさえなければさ、皆が中流の生活を満喫できて、弱者は経済的困窮をすることなく、労働者は働いたら働いた分の報酬が搾取されることなく(ここは政治的な解決が必要だが)真っ当にもらえるんだぜ。
これって健全な世界のあるべき姿じゃないのかね。
それが「道」なんです。
「社会の中の財政のあるべき道、共同体の中の財政のあるべき道、国家という中の財政のあるべき道」
人は豊かになりたいから働いて働いた成果により相応の報酬を得るんだよ。
今、そうなってないでしょう?
そのMMTのコペルニクス的転回(パラダイムシフト)を起こす可能性を知っていたからこその「メタ理論武装」だったんだと。私は思うわけでございます。
しかしながら、中野剛志という人は恐ろしい頭脳をもった心優しい正しき策士でございますね。
TPPの時もそうでした。常に孤独に戦ってきた方ですね。常に気づかせてくれて感謝しております。お疲れ様でございました。

プロレタリア同士諸君。我ら念願の「健全な労働対価保証」の勝鬨を上げろ!
難しかったなこのブログは、反緊縮のみんなとツイッターで語ってみたかったっすわ。
用語が間違ってたり誤字も多かったのでしれっとなおしましたー。20210605
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