私は今40代。そう、キャプテン翼世代です。
といっても、キャプテン翼は小学校三年生のころかな?それ以前にサッカーに小学生全員が夢中になるきっかけがあってね、小学校一年生のころに国体に出るサッカー選手の実習生が体育を教えてくれたんです。
当時ゴム毬みたいなボールでしたね。それを僕らに体育を教えながらずっとリフティングをしている。1時間くらい落とさずに。そのリフティングに釘付けになりました。
それからは、近所の裏庭で暗くなるまでサッカーボールと友達生活。僕はマラドーナだ!
夜中に衛星中継でこっそりマラドーナが出ているW杯を観ては怒られたりなんかしてました。
そのW杯。日本が出れるなんてその時は夢にも思いませんでしたけど、ジョホールバルの奇跡は本当に号泣しましたよw
さて、ここで本題のサッカーの申し子の小野選手。
彼はたしか清商でしたね。 その頃私はJリーグ開幕の年で21歳。もしかするとぎりぎりプロサッカー選手になれるかもしれねー。。なんて一生懸命東京都リーグの社会人カテゴリでサッカーをやってました。
そんなときに、彼が春の選抜かなんかで出ていたスポーツニュースを観たんです。(彼は冬の選手権には一度もでれなかったんですねー。ここからも彼の運命というか悲劇性を象徴しているんですが)
高校生なのに一瞬で釘付けになりました。 なんていうか、学校で凄い上手い奴がいるじゃないですか。
そいつの何十倍も上手い。というかボールトラップやパス前のノールックでのオチョクリや、フェイントの俊敏さ、走っている選手が次のアクションができるところでボール動作が弱まるようにスピンをかけているアウトサイドのパス。0.5秒速くだせるドンピシャのスルーパス。 その当時サッカーをしていたからわかる。どれを取っても当時最高峰だったセリエAの選手(例えばボバン選手)に劣らないテクニックだってのはすぐわかりました。
「これが100年にひとりの逸材ですか。。」
子供のサッカー教室などで、ミスしたら”けつバット”が必要な怖いスポーツであるかのように厳しく指導をする指導者に言っとく。
楽しくやらせてその中でセンスがある選手を見極めること。厳しくしたら自分を出せない。
サッカーは、ボールタッチや運動神経、しなやかさ、これら生まれ持った才能でポテンシャルが決まると思っています。しかし才能があっても努力をしなければ伸びません。
常に考え、視野の広さやゲームセンスを磨く努力を怠らない。
そしてサッカーが大好き。これによって名選手になれるかが決まります。
(どこの業界も同じでしょうか)
長身であることや足が速いとかはポイントとしての武器ではありますが、決してそういった身体能力で決まるものではありません。足元でボールをコントロールするスポーツなんですから。
話を戻しますが、
プロになった彼は自身に満ち溢れていました。当時王様だった中田なんとかっていう選手や誰もが才能を認める前園選手よりも、誰しもが凄いことを成し得ると期待してました。
そんな期待に対して軽く答えてくれたのが、U19ワールドユース準優勝でした。
(小野の決勝出場停止が響きました・・またこれも悲劇の選手たる所以)
他の選手を見ても、本山のドリブルはキレキレでしたし、小笠原や稲本や遠藤が相手を翻弄する。
なんてチームだ。
こんなにダイレクトパスが通る代表サッカーなんてみたことなかった。
衝撃でした。やはり才能の共鳴とはこういうことなんですね。代表の練習時間が少ないって文句言っている選手はこの試合を観て欲しいよ。
「共鳴する才能」
こいつらこのまま上にシフトしていったら、ワールドカップで奇跡起きちゃうよね。。
そんな期待。
人生とは上手くいかないものですね。
シドニーオリンピック予選。小野がエースとなった日本代表は、ワールドユース組をベースに天才中村俊輔や柳沢との融合で、ブラジル顔負けのゲームを展開していた。
当時弱小国相手に五輪日本代表の試合で国立が満員になったのは、小野を中心に、本山、中村、稲本、小笠原、遠藤選手達のゲーム運びが面白くて仕方がなかったからだ。
こぞってみんな点を取りに行くから、10点差なんて当たり前。
そんな日本にとって夢の時間は長くは続かない。
フィリピンの選手は点差に怒り魔が差したのだろう。そこにあったのは伸二の膝。その一点に恨みのスライディング。。
日本のジダン、ジーコ、プラティニ、ボバン、ストイコビッチ。。そんな選手と肩を並べて語られるはずだった選手の終焉。
いつもこの事実を突きつけられた時に感じる虚しさ。
小野はこの試合で膝をめちゃめちゃにされた。
当然目先の目標であった、とても行きたかった、自分が引っ張ってきたと自負しているこのチームで、オリンピックで世界を驚かすことは叶わなかった。
(後日談)彼は落選したことを聞いて泣いた。
足を引きずりながら号泣した浦和のJ2降格を経て、時は経ち、長いリハビリからの復活。
ようやくファンを安心させた彼。
バルサからのオファー(ガセかもしれないけど当時騒がれていた)を断って、浦和をJ2からJ1へ導き、満を持して、当たり前の海外進出であるフェイエノールトに移籍した。
たかがオランダリーグという人もいるが、スネイデル、トマソン、ファンデルファール、イブラヒモビッチ、ファンペルシー、ファンボメル、カルー、とりあえず近い将来のチャンピオンズリーグで、必ず名前がでるような凄い選手達としのぎを削っていた。そんなハイレベルなリーグ。
PSVやアヤックスは小野対策に抜かりはない。
無冠と評される小野でも初めての栄誉を得る時が来る。
フェイエノールト最大の栄誉とされるUEFAカップの優勝。これは凄い。
相手のクリアボールをダイレクトでスルーパス。そんな異次元なプレーを彼はいとも簡単にする。
サッカーは普通のことをしていては展開は変えられない。それは同じ人数同士で試合をするのだから、どこかで数的優位を作る無理をする必要があり、ドリブルで振り切ることも選択肢のひとつだ。
彼はダイレクトパスでリズムを作り、一瞬で相手の意表をつく。
相手はたまったもんではない。いつの間にかピンチになっているのだから。
日本でのW杯で活躍はしたんでここは省略。
トルシエはバランスが良く闘将であったが、システムにこだわりすぎて才能あふれる駒達をうまく使えなかったと思う。あくまで私感ですが。
それでもとても面白かったし勇気をもらいました。
これ以降のことは、彼は呪われているんでは?と思うくらい、サッカーを楽しめない状況が続きましたね。名選手名監督にあらずを体現したジーコの間違ったと言わざるをえない特定選手中心のチーム作り。なら俺を呼ばないで欲しかった。そうおもったであろう。
そして彼はこのチームで傷つく。。長いこと。。
中心選手がエアコンで風邪をひいたり、出場機会に恵まれないための準備不足を他の選手のせいにする。そのエゴは周りを振り回す。。それを変えられない監督。実力がありながら控えとなった選手のモチベーションは下がる。あなた達の友としての信頼だかなんだかしらねーけど、戦いに来てるんじゃないのかい?サッカーに政治は必要ありません。
彼は傷ついた心を癒すべく、他の国で必要としてくれるところへと渡り歩く。
「僕を見に来ていることは十分に理解している。」
「その前に俺はサッカーを楽しんでいるのか?」
試合に出れば観客を虜にする。無理をするから足の故障に苦しめられる。
毎年、今年こそはという決意で足を調整し早めに準備する。
彼はサッカーを楽しんでいるじゃないか。断固たる決意のもと。
=終わりと続き=
彼の意思を継ぐものは?
バルセロナの外人枠問題?で一旦帰国して18歳くらいになったら呼び戻されると噂の久保健英くん、今頑張っているレアルユースの中井卓大くんあたりには期待。それまでは代表の試合を見ることはないでしょう。勝ち負けに一喜一憂するのがサッカーではない。
負けられない戦いであるならば、そこに闘える駒が揃っているなら応援もするでしょうに。
小野を超えるサッカー小僧をみんな待ち望んでいる。
それではさよならさよなら。
🌟ちょっとでもあなたの心を温かくできたページであったなら、ここをクリックしてくれるとまた頑張れるんだ。
といっても、キャプテン翼は小学校三年生のころかな?それ以前にサッカーに小学生全員が夢中になるきっかけがあってね、小学校一年生のころに国体に出るサッカー選手の実習生が体育を教えてくれたんです。
当時ゴム毬みたいなボールでしたね。それを僕らに体育を教えながらずっとリフティングをしている。1時間くらい落とさずに。そのリフティングに釘付けになりました。
それからは、近所の裏庭で暗くなるまでサッカーボールと友達生活。僕はマラドーナだ!
夜中に衛星中継でこっそりマラドーナが出ているW杯を観ては怒られたりなんかしてました。
そのW杯。日本が出れるなんてその時は夢にも思いませんでしたけど、ジョホールバルの奇跡は本当に号泣しましたよw
さて、ここで本題のサッカーの申し子の小野選手。
彼はたしか清商でしたね。 その頃私はJリーグ開幕の年で21歳。もしかするとぎりぎりプロサッカー選手になれるかもしれねー。。なんて一生懸命東京都リーグの社会人カテゴリでサッカーをやってました。
そんなときに、彼が春の選抜かなんかで出ていたスポーツニュースを観たんです。(彼は冬の選手権には一度もでれなかったんですねー。ここからも彼の運命というか悲劇性を象徴しているんですが)
高校生なのに一瞬で釘付けになりました。 なんていうか、学校で凄い上手い奴がいるじゃないですか。
そいつの何十倍も上手い。というかボールトラップやパス前のノールックでのオチョクリや、フェイントの俊敏さ、走っている選手が次のアクションができるところでボール動作が弱まるようにスピンをかけているアウトサイドのパス。0.5秒速くだせるドンピシャのスルーパス。 その当時サッカーをしていたからわかる。どれを取っても当時最高峰だったセリエAの選手(例えばボバン選手)に劣らないテクニックだってのはすぐわかりました。
「これが100年にひとりの逸材ですか。。」
子供のサッカー教室などで、ミスしたら”けつバット”が必要な怖いスポーツであるかのように厳しく指導をする指導者に言っとく。
楽しくやらせてその中でセンスがある選手を見極めること。厳しくしたら自分を出せない。
サッカーは、ボールタッチや運動神経、しなやかさ、これら生まれ持った才能でポテンシャルが決まると思っています。しかし才能があっても努力をしなければ伸びません。
常に考え、視野の広さやゲームセンスを磨く努力を怠らない。
そしてサッカーが大好き。これによって名選手になれるかが決まります。
(どこの業界も同じでしょうか)
長身であることや足が速いとかはポイントとしての武器ではありますが、決してそういった身体能力で決まるものではありません。足元でボールをコントロールするスポーツなんですから。
話を戻しますが、
プロになった彼は自身に満ち溢れていました。当時王様だった中田なんとかっていう選手や誰もが才能を認める前園選手よりも、誰しもが凄いことを成し得ると期待してました。
そんな期待に対して軽く答えてくれたのが、U19ワールドユース準優勝でした。
(小野の決勝出場停止が響きました・・またこれも悲劇の選手たる所以)
他の選手を見ても、本山のドリブルはキレキレでしたし、小笠原や稲本や遠藤が相手を翻弄する。
なんてチームだ。
こんなにダイレクトパスが通る代表サッカーなんてみたことなかった。
衝撃でした。やはり才能の共鳴とはこういうことなんですね。代表の練習時間が少ないって文句言っている選手はこの試合を観て欲しいよ。
「共鳴する才能」
こいつらこのまま上にシフトしていったら、ワールドカップで奇跡起きちゃうよね。。
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人生とは上手くいかないものですね。
シドニーオリンピック予選。小野がエースとなった日本代表は、ワールドユース組をベースに天才中村俊輔や柳沢との融合で、ブラジル顔負けのゲームを展開していた。
当時弱小国相手に五輪日本代表の試合で国立が満員になったのは、小野を中心に、本山、中村、稲本、小笠原、遠藤選手達のゲーム運びが面白くて仕方がなかったからだ。
こぞってみんな点を取りに行くから、10点差なんて当たり前。
そんな日本にとって夢の時間は長くは続かない。
フィリピンの選手は点差に怒り魔が差したのだろう。そこにあったのは伸二の膝。その一点に恨みのスライディング。。
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PSVやアヤックスは小野対策に抜かりはない。
無冠と評される小野でも初めての栄誉を得る時が来る。
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相手のクリアボールをダイレクトでスルーパス。そんな異次元なプレーを彼はいとも簡単にする。
サッカーは普通のことをしていては展開は変えられない。それは同じ人数同士で試合をするのだから、どこかで数的優位を作る無理をする必要があり、ドリブルで振り切ることも選択肢のひとつだ。
彼はダイレクトパスでリズムを作り、一瞬で相手の意表をつく。
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日本でのW杯で活躍はしたんでここは省略。
トルシエはバランスが良く闘将であったが、システムにこだわりすぎて才能あふれる駒達をうまく使えなかったと思う。あくまで私感ですが。
それでもとても面白かったし勇気をもらいました。
これ以降のことは、彼は呪われているんでは?と思うくらい、サッカーを楽しめない状況が続きましたね。名選手名監督にあらずを体現したジーコの間違ったと言わざるをえない特定選手中心のチーム作り。なら俺を呼ばないで欲しかった。そうおもったであろう。
そして彼はこのチームで傷つく。。長いこと。。
中心選手がエアコンで風邪をひいたり、出場機会に恵まれないための準備不足を他の選手のせいにする。そのエゴは周りを振り回す。。それを変えられない監督。実力がありながら控えとなった選手のモチベーションは下がる。あなた達の友としての信頼だかなんだかしらねーけど、戦いに来てるんじゃないのかい?サッカーに政治は必要ありません。
彼は傷ついた心を癒すべく、他の国で必要としてくれるところへと渡り歩く。
「僕を見に来ていることは十分に理解している。」
「その前に俺はサッカーを楽しんでいるのか?」
試合に出れば観客を虜にする。無理をするから足の故障に苦しめられる。
毎年、今年こそはという決意で足を調整し早めに準備する。
彼はサッカーを楽しんでいるじゃないか。断固たる決意のもと。
=終わりと続き=
彼の意思を継ぐものは?
バルセロナの外人枠問題?で一旦帰国して18歳くらいになったら呼び戻されると噂の久保健英くん、今頑張っているレアルユースの中井卓大くんあたりには期待。それまでは代表の試合を見ることはないでしょう。勝ち負けに一喜一憂するのがサッカーではない。
負けられない戦いであるならば、そこに闘える駒が揃っているなら応援もするでしょうに。
小野を超えるサッカー小僧をみんな待ち望んでいる。
それではさよならさよなら。
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