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平野歩夢選手優勝おめでとうございます。
このブログで取り上げる予定はなかったのですが、紀元節にこんなすごいことが起きたのも何かの縁だということで書かせていただきます。

オリンピック種目をちゃんと見るのは昨年夏を含めて初めてだったんですが、この寡黙な若者は、ずっとレジェンドのショーンホワイトの背中を見て、そして追い越せる位置でお互いを高めあった。同じ時代にショーンが金3回、平野が銀2回というね。そして今日、ショーンが最後に歩夢選手が金を取ったときに嬉しそうだったっていうね、そういうのも含めてこのハーフパイプって素晴らしい競技ですね。彼の寡黙さは我々見ている方にも恐ろしいほど緊張感を与える。失敗しなければ優勝できるセットを持っているからです。そして運動神経からくる柔軟さ、体操の内村選手などが見せる独特と美しいスタイルがあって、そして普段の鬼のような努力をしているだろう大技をサクッと決めていく。もしかして雪質やら風やらで着地が、うまく高く飛べないかもしれないという環境の中でガッツポーズを2回も決めた。我々は目に溢れるものを感じながら絶叫するしかないわけですよ。
トリプルコーク1440という前人未到のスタイルは、ものすごく高いところまで飛んで、そこから風車のようにぐるぐる回っている異次元な技である。真っ逆さまに落ちるという怖さも見てる方は感じるわけです。
スポーツで感動するのは久しぶりですが、やっぱりナショナリズムってのも感じてしまいましたし、それを感じて応援しないとオリンピックの意味がないですからね。選手にはそのオリンピック論争は関係ありません。そして今のオリンピックが腐っているかどうかという議論以前に、この五輪の目的は、戦争を競争に置き換えて回避するための国の対抗戦ですから。





さて本題です。今日は紀元節です。
皇紀2682年です。日本の紀元を、日本書紀にしるす神武天皇即位の年(西暦紀元前六六〇年)を元年として起算したものでして。明治時代の頃は一般的でした。
それも大東亜戦争で日本を恐れたアメリカが、国民精神を無くすために文化や慣習を奪っていったわけですね。
今日は、この紀元節や天皇陛下や国家について理解されていない人に向けて知っていただきたいと思って書いてますが、極左アナーキストには耳が痛い話ですし、保守っぽいことを言って旗の持ち方すら知らず不敬にも国旗を振り回してしま頭のおかしい人、祝日なのに日章旗ではなく旭日旗を振り回し右ってカッケーだろってやっている人向けに記事を書いてみようと思います。羽生選手のように日の丸は大事に扱いましょう。

紀元節とは神武天皇の即位により日本という国が生まれた日です。
明治時代に祝日と定めたわけですが、鎌倉時代の人が、江戸時代の人が、この祝日に休んでいたわけではありません。しかし、古事記にはきちんと記されていることが事実となります。
この天皇が日本を作った紀元節の事実を否定することは不可能です。古事記を編集している時代にリアルタイムでアナーキストの皆さんがこの事実を編集している人に対して否定していたのなら別ですが、時系列や歴史に従って検証しても宇宙人がタイムスリップをしないと無理な話です。ですので誰も否定できない事実がある以上、この紀元節で日本が生まれた日ということを国民は祝うのは重要になります。これが文化の成熟した国家の国民としてのお作法となります。それができない人なのであれば文化レベルの低い未成熟な現代人とは言えない人間となりますね。ようは頭が悪いということになります。

アイデンティテイを失った国民は、聖的なこと、精神的なもの、お天道様が見ているという道徳心を大事にしないので、平気で弱いものをいじめ、欲しければ奪い、気に食わなければ殺せるようになります。これは宗教でもなんでもなく人が生きていくという道の話です。それがないと平和を暴力的に訴える自分勝手な自由主義のアナーキストが生まれてしまうわけです。国から保障された社会に生きているのに国を否定する脳みそを使っていない人にはなりたくないものです。
科学者が研究で立証された証左エビデンスを科学者自身が否定するようなものでして、これをしてしまったら信自ら信用を無くしてしまうということになります。人間としても同じですね。黒を白だと言えてしまうのは個性ではなく社会不適合者でありキチガイということです。人としてやってはいけないことができてしまう精神の持ち主は危険因子です。

自分の国に誇りを持って、強い国になって、みんなが経済的にも豊かになり、抑止力のある軍事力を持ち、本当の平和を維持できる健全な国家の一員になりたいと思いませんか。その第一歩が自分は国家に生かされているという事実を理解して、その守ってくれる器を築いてくれたのは誰なのか、ということを理解して、その日本という国に生まれたことに感謝をする日、そしてその国家の統合の象徴である天皇陛下について、その歴史、日本の神話、伝統文化について少しだけでも学ぶという日は、一年に一度あってもいいと思いますよ。学校教育がこういう国家について教えていないですからね。であれば家族が子供に伝えなければなりません。

みなさん勘違いされているようですが、天皇陛下は歴代国民から祀られていただけの存在ではなく、国民の安寧のために祈る存在でした。国民主義に基づいて国家運営をしてきたからこそ、武家政治による戦乱が続いても、封建制の頂きとして天皇という存在に権威があったわけです。だってバカは尊敬できないでしょう。国民が敬うことができたのは、豪族や戦国武将が天下統一をしても天皇陛下に平伏したのはその権威があったからです。ずっと天皇陛下中心として国民は高揚を維持してきたわけですから、明治時代にグローバリズム勢によるテロがおきましたけれども、天皇陛下を担いだわけです。その大義名分に対しては誰もが納得をした上で、政治の闘争をおこなったわけですね。

粗暴な覇権意識のある政治家、利権が大好きな愚かな人間が政治家になっても、天皇陛下と国民の統合した関係性があれば、すべて跳ね除けられると言っても過言ではありません。
政治とは腐敗するもんですが、権威はその形成される根本からして揺らぐことはありませんし、ましてやこの国を築いたのは天皇陛下だということを我々はきちんと理解しておく必要があります。こんな素晴らしい天皇陛下がこの国を権威の下で統治をしていたのは日本人にとっては幸いですね。もしもジンギスカーンが牛耳っていたら、出自が次々変わる愛国心のない国王や豪族が頂点にいたら、この国は内紛が絶えない国家になっていたでしょう。
それは聖徳太子の豪族が天皇陛下までも殺そうとしていた時代に、天皇は権威を持ち、政治家は政治をするという国家体制を、あらためて憲法17条で宣言したわけですが、一番最初に来るのがこの一文です。

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

当時の天皇が国の運営で第一としていたのは、「和を持って貴しとなし」です。究極の民主制をあの当時から我が国は政治に取り入れようとしていた素晴らしい国家だったわけです。

そういう国民として同じ意識を持たない限り、国民が統合するための一致団結の精神がない限り、国家は繁栄しませんので。
いま売国自民党がジャポンに成り下げてくれていますが、我々が本来の国家のあるべき姿を間接民主制を基調として実現できるんだということを諦めずに生きていくことが重要です。そして本来の天皇陛下の権威のある国家であることを忘れず、今の政権は我々国民が変えることが可能なんだ、ということを理解してて我々はこの日本という国が、このまま綻びがひどくならないように、なんとか踏ん張っていかなくてはなりません。

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天皇弥栄
奉祝 紀元節 














変異する資本主義
変異する資本主義
中野 剛志
2021-11-17



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