はじめに
本ブログの目的は、ただしく「国家」の有り様、「日本のナショナリズムは稀なもの」であることを皆が理解することで、ただしい「国家観」を共有すること。
そして「国家」における「国防」が重要であることを明白にすることを目指します。
これを何回かに分けてブログで書いていこうという試みです。

前回は、「租税国家」「軍事技術と国家」「重商主義と経済政策」について歴史の中で形成された裏付けられた定義を、体系的に頭出しをしました。

今回は、「戦争が革命を生む」「戦争とナショナリズム」についてどういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめたものです。
そして、ナショナリズムの成立の原点について、戦争プロセスという視点において、地政経済学つまり富国と強兵の妥当性を証明することを試みています。

専門的な文言が多くなっていますが、過去のシリーズを読み返してもらえると理解できる内容となっています。
なかなかとっつきにくい内容ですが、最後のひと頑張りです。
この再編集版が8月15日前に間に合ってよかった。









ここで私が伝えたいのは何が正しいとかではなくて、それでもナショナリズムって何かってわかれば、根本をわかっていれば、自ずと進むべきを間違うことはないでしょう。ということです。
であれば歴史がどう選択してどう進んでいってたかということは見ておきましょうよということです。


戦争が革命を生む
  • 歴史学者のマクニール曰く、フランス革命※の最重要の原因を人口増加に求めている。
  • 18世紀半ばからフランスとイギリスは急激な人口増加が起きた。
  • 人口増加において食料や雇用が追いつかなくなった都市では暴動が起きた。
  • フランスでは、国民皆兵によるフランス革命とナポレオン戦争で、マンパワーを吸収。
  • イギリでは、商工業の発達による産業革命で、マンパンワーを吸収。
  • イギリスもフランスも、「指令志向型」(国家強制)と「市場志向型」(資本・民間)の混合対応によって、人口過剰の危機に対処した。
※フランス革命はみなさんの方がご存知だとは思いますが、簡単に解説すると、国民が苦しんだとされる絶対王政を、啓蒙思想もあるよということでその考えの君主制国家にして民主を反映した政治体制にしようぜということで、モンテスキューあたりの思想もいいよね、ということで市民が立ち上がった目的は、悪政により様々な特権階級と、一般庶民の格差が酷すぎたことにより、これではダメだということで怒っていた市民が立ち上がったということです。
けして思想で人が動いたのではありません。それに頼らなくてはならない事情があったということです。
個人的には民主制というのは、人間がもともと持っている願望や主義主張、正しい政治制度ではなくて、特権階級と労働者の格差が拡大してしまう絶対主義へのアンチテーゼから生まれたということを、フランス革命を通して理解しております。
どんな統治制度も完璧はないってことです。そしてお天道様が見ているという道徳精神の有無で大きく方向性も変わってくる。つまり統治する人で変わるんです。それが民主制だろうが専制だろうが。


地理的要因 マッキンダーの地政学
  • イギリスは市場志向型(民間商業市場的機構)に重点が置かれたのは、海に囲まれた立地環境から余裕を持って資源動員を選択することができたから。
  • フランスは指令志向型(軍事的機構)に重点が置かれたのは、大陸であったため隣国との地政学上の緊張などがあったから。
マッキンダーは、逆第二イメージ解釈による地理的観点で、イギリスとフランスのように地理的環境が「国内体制の有り様」を決定づけることの分析を示しました。
 
ヒンツェの洞察
  • 戦争や戦争準備の圧力が国家のあり方を規定するというヒンツェは洞察しました。さすればフランス革命と産業革命の原因には戦争があったということを見逃すことはできない。
スコッチポルの研究 「国家と社会革命」
 ヒンツェの歴史社会学継承者のシーダ・スコッチポルによる、ヒンツェの理論が正しいことを立証した研究結果(フランス・ロシア・中国の比較研究)によれば、
  • 革命の勃発は戦争という圧力がきっかけとなっている。
■ブルボン朝⇨七年戦争⇨フランス革命
■ロマノフ朝⇨第一次世界大戦⇨ロシア革命
■清朝中国⇨日清戦争⇨辛亥革命
  • いずれも戦争による負担増と財政の立て直し、近代化、隣国や大国からの外圧により、政治改革が必要となる。
  • そのため、国家を支配層(地主階級)の反発を招き、行政・軍事機構が崩壊する結果となり、下層階級による社会革命を誘発した。
スコッチポルのこれらの理論は、社会革命の「逆第二イメージ」的解釈の提示であった。
実際にはこれは正しくて、フランス革命運動が起きて革命が落ち着いたのは、プロイセンなどがフランスを攻撃し始めたことで、戦わなくてはならないという軍事的背景により、その軍事体制を整えるために、かの天才ナポレオンが沈静化して国家を立て直したことからも見てとれる。常に戦争圧力があったということで、ナショナリズムが働いたとも言える。この国がなくなったらどうするんだ、民衆を弾圧したままでいいのか。という国民統合一致団結が働いたと私は解釈しています。なぜなら革命とはカードを裏にするだけの単純なことではないからです。為政者の不安と民衆の不満が合致する何らかの大きなベクトルが働いた、それは戦争という圧力が最大の要因だったのは事実なようです。
ここに左右思想という概念はなかったかと思います。生きるために国家をちゃんとしようよ、というのをみんなが感じたんじゃないかと。
みなさんはどう思いますか。

「逆第二イメージ」的解釈
 おさらいだが、「逆第二イメージ」とは、1970年代の歴史社会学で「国際関係の圧力が国家を規定する」という現実を直視した視点である。 それは「国家が国際関係を決定する」という、近代国家の形成過程の解明であって、 「国内の経済構造が、地政学的な国際情勢によって影響」され、 その逆に「地政学的な国際情勢が、国内の経済構造によって影響される」という「逆第二イメージ」の視点で 相互作用を解明する理論こそ「地政経済学」と呼ばれるべき理論が目指す地点である。
  • フランス・ロシア・中国の革命は、思慮ある行動でも、自称革命家によるものでも、旧体制の強力な政治勢力によるものでもなく、 「帝国が激化する軍事競争・海外からの侵略」と「農業社会的な階級構造と政治制度が君主制の対応に課した制約」という、 二つの圧力の結果であり、革命的政治機構が勃発し、行政機構・軍事機構の崩壊に至った。
  • ホーエンツェレルン家プロイセンや江戸時代の徳川日本でも、国際紛争の圧力はあったが社会革命は起きなかった。 なぜなら、より官僚制的であったからだ。従って権力闘争はエリート層にとどまり、階級間の闘争には発展せず、 社会革命を引き起こすまでには至らなかった。
 
戦争や国際圧力の負荷に耐えられる国であるか
上述のことを踏まえれば、
  • 国内構造(政治・社会構造)が耐えられる場合、国家を形成したり・改革したりする。
  • 国内構造(政治・社会構造)が耐えられない場合、国家の崩壊や革命が起きる。
 
外発的根拠
外発的とは外部つまり他国の戦争圧力のこと。
  • 日本では、黒船来航などの国際関係の圧力に幕臣体制が耐えられずに明治維新が起きたが、近代化は外発的であった。
  • フランス革命は、イギリスとの戦争という国際関係の圧力により旧体制が崩壊した外発的な革命である。
  • ヨーロッパの近代化は、国家間の紛争を圧力として進められてきた。もっと言えば、近代化というもの自体、国際環境の圧力から外発的に生じたものなのである。

  
戦争とナショナリズム

マス・アーミー(国民皆兵)の誕生
  • 地理的・政治的・経済的要因が相まってフランス革命が勃発し、ブルボン王朝は崩壊した。
  • 革命の結果、国民の徴兵によって組織された陸軍が誕生し、軍事組織の革新が行われ、飛躍的な大規模化を遂げることとなった。
  • マクニールが明らかにした、この「戦争の技芸」の革新は、国民国家という新たな国家構造の形成を促したのである。
 
軍事教練の導入による団結意識の形成
  • マクニール曰く、「マウリッツ式軍事教練」の導入により心理的・社会的効果が発見されたという。
  • これは何かと言えば、軍事訓練において、集団で長期間拍子を揃え手足を揃え筋肉を動かすと、非常に強い社会的紐帯が生まれ、共同体を形成できる効果がある。
  • 原始社会では、大型獣の狩りで必要な集団行動を可能とすべく、踊りでリズム運動を通じ仲間意識を強化していた。
  • この14世紀に勃興した軍事教練は、人類が持つ社会性の原始的な本能を活用しもので、第一次集団的な共同体を人工的に作り出せることを発見した。
  • 19世紀でも軍事教練による共同体の連帯意識を元に、ヨーロッパ諸国は国家による徴兵制によりマス・アーミーを組織し共同体という士気の向上を目指した。
ここは補足は不要かと思いますが、チームプレイを必要とするスポーツの部活なんかに見られる光景であり、同じ行動を取るということが同じ社会で活動をするという意味では、労働者の、特に連携しないと危険が伴う建設現場では、全員で朝のラジオ体操はやっておりますし、休憩時間などの時間区切りなどにも行動パターンの規則性を合わせる目的が見られる。同じ目的意識と統一性により団結をする仲間だという認識が生まれるのは、「同じ釜の飯を食った仲間」などと日本では表現されます。
 
マス・アーミーと国防意識の教育
  • ナショナリズムは、その「生命の危険な任務」に動員するための原動力となる。
  • 国民皆兵を実現するには、学校教育を通じ、標準言語の修得によるコミュニケーション促進、国の歴史や文化や地理を共有し、愛国心を称揚(褒め称え)するのである。
  • 徴兵後の軍隊生活のなかで国家の存在を強く意識させられることとなる。
ここはみなさんも何となくは理解できるかとおもいます。ナショナリズムは強要されるものではなく自発的でなくてはならない。ですので我々が記した憲法制定には、徴兵制ではなく、真のナショナリズムを理解する教育により湧き上がるレベルで、危機意識を持って国防の重要性を理解して、自ら手を挙げるレベルにまですることが重要であることを記載させていただきました。ただたんに金を渡して戦ってくれでは傭兵に依頼しているのと変わりがないので、いざという時には弱いですよ。モチベーションという意味で。そのナショナリズムが湧かないのであれば国防なんてやらなくていいです。守れないんだから。


本能に響くナショナリズム
  • しかし、いくら形式上の愛国の教育を受けようと、軍隊の原始的な社会性(筋肉を動かし共同体連帯意識を強化する)を伴ったとしても、生命の危険を伴う任務を遂行するのは困難であろう。
  • アンソニースミスが指摘した、ネイションは「想像の共同体」以上に強く感情が揺さぶられるものとして経験されるものであった。
  • 宗教社会学のデュルケイムは、社会の統合には聖的な象徴が必要とされることを明らかにした。
  • つまり、ネイションとは、聖的な象徴によって統合された近代社会なのである。
  • マクニールによれば、軍事教練法が強力な動員力を発揮したのは、原始社会性の本能に訴えかけたことが共同体連帯意識を強化することに成功したという。
  • これと同じ類のことが国民国家に言えることでもある。
  • ナショナリズムが近代の人工物でありながら、長い歴史に根ざした自然な感情であると経験するのも、それが原始社会性の本能に響くものだからであろう。
これらは誰にだってわかるかと思いますが補足するなら、
ネイションとは国民や共同体つまり国民国家のことであり、これより大きい領域と要素は地球や宇宙になる。そして国民主義とは「ネイション+イズム」で「ナショナリズム」です。
国家主義とはステートイズムですので、ナショナリズムとは違い全体主義や専制主義のことです。つまり国家主義とは実にくだらないし、個人主義つまりリベラリズムも実にくだらない、国家が続くという観点からね。ということでして、
そしてこれらを我々民が渇望しなくなり、失ったときに、真のナショナリズムは終わる。
そして、我々日本人が聖的な象徴により統合され、ナショナリズムの精神を安定させるのは、我々国民のために祈り、この国家を作り、日本人の心の奥底に眠る「国民統合一致団結の精神」を呼び起こさせてくれる存在は、天皇であることは否定できません。
私は小学校の時に陛下を目の当たりにした際に、その神聖的なものを感じ感動した思い出あります。優しさに満ち溢れていたからですね。これが国民を思う氏子の精神に触れたということなんですね。
これが聖的なものに触れた私の高揚の思い出です。
 
戦争を通じ国民国家へと収斂(しゅうれん)していった
  • ナショナリズムを駆り立てるマス・アーミーを、一部の支配層は驚異と感じ導入しなかった。
  • 結局は戦争や紛争や緊張の圧力により、軍事力の動員のため国民との交渉を余儀なくされた。
  • 結果的にナショナリズムが「統治を正統化するイデオロギー」として支配的になった。
  • こうして戦争から産み落とされた近代国家は、戦争を通じ「国民国家」へと収斂(もしくは集約)していくことになった。
グローバリズムが台頭し、富裕層は格差拡大を望む。
これを政治が主導している。
だから私は拙い文章で、みなさんの聖的なアイデンティティに国民統合一致団結を呼びかけ、日本が終わることへの警笛を鳴らしています。
みなさんはどう思いますか。


富国と強兵
 本章では、近代というものが「市場志向型」(富国)と「指令志向型」(強兵)の有機的な相互作用の過程であることを確認した。


天皇と国民

国家とは。
ナショナリズムとは。
国民統合一致団結とは。

この写真を見ればわかる。陛下の広島巡幸時の国民高揚が全てを物語っている。



ーおわりに:編集後記ー
いかがだったでしょうか。冷静な客観的事実とともに国家ナショナリズムに必要なのは聖的な神聖不可侵な要素が必要なことも歴史から紐解きましたね。

いちいち世界を見なくても大東亜戦争までの日本を見ればわかる話でもありますが、その記憶がごっそり消されてしまった。

そこの国民意識までに戻すまでには、こういった一つ一つ事実をもう一度積み重ねていくしかありません。
こう信じればいい文献がないんだから、ではなくて、ヨーロッパも日本も同じ経緯を辿っていて、日本という国は、すこしだけすごい国だったんだよというのを理解して欲しかったわけです。それを論理的に言語化できていた書物は、中野剛志さんの社会科学の書を借りなければできませんでした。


色々難しかったと思うのですが、「地政経済学」について少し補足しておきます。
これは国家が隣国を気にせず理想的に国際関係を決めるとかではなくて、現実には隣国との緊張によって決まるわけですというのを明らかにしたものです。

そして経済政策(財政政策)が普段から緊縮だが、積極にせざるを得ないのは戦争圧力によるものであり、本来はその軍事バランスを保つために普段から積極財政をするべきだとおもうのですが、

「戦争を避けるために財政支出をしない」という恐ろしい考えを持ってしまった愚かなTPPを推進してご機嫌とりを始めた自民党政権与党と、

日米に恨みを持ち続け、覇権国家を目指す中国。その目的のために積極財政により成長し、大きくバランスが崩れて戦争に至るハードルが低くなってしまうのは、い今の情勢をみれば明らかですが、その前にそういう分析をなぜできなかったのかということですね。

逆第二イメージがあったのにも関わらずやらなかった。というか誰が考えても今の政治はおかしいです。

ですから2022年現在では、経済成長と国防増強の格差が5倍に開いてしまい、尖閣は占領されてしまい、日本の領海にミサイルを打たれてしまう状況に陥ってしまいました。

日本と中国の軍事プレゼンスとかいうよりも、経済的格差が拡大してバランスが崩れ、なめられているといったほうがわかりやすいでしょう。

従ってもう戦争からは目を背けられません。この文言を書いたのは前回リリースした2年まえの感想ですが、何ら変わってません。

なんならそういうことにならないように普段から準備をすることが命題になる。もう限界にきている時期に、論理的に説明できる考え方が必要でしょう。

それは、「現実を見てナショナリズムを理解して分析し、プラグマティズムに対処する」ということです。

経済なんて関係ないということは、結果として、多くのことを分析できていないことであり、根本を理解していないということです。これらの説明でどれほど経済は地政学と合わさって戦争がおこる要因となりえるということが理解できるはずです。

合理的な「こうあるべきだ」という教典が先に立ち、社会は失敗してきたわけですが、それを正した考え方が「逆第二イメージ」だったわけです。いやもうご承知の通り危機的状況なわけですので遅いと思っていますが、それでも諦めずにやらなければなりません。

地政経済学を皆が理解すれば、自民党のような統一教会の要望に応え、外資からの献金を欲しがり、財務省に忖度してもらうために、緊縮をする、このようなアンチ・ナショナリズム売国政党など選ばれるはずもありませんよね。それは国民が本当に理解していないからだと思います。


私はこの「富国と強兵」を読んでとても驚いたのは、国家やナショナリズムやらという概念は近代で必要に応じて醸成されたものであって、それではなぜ受け入れられたのかと言えば、その国に住む国民にとっては必要だったものを与えただけだったということです。

これにより国家が国民統合一致団結よる相乗効果を発揮していたんだということです。だから明治の政府はなんとか国家基盤を作れたんだと思います。

神聖不可侵である天皇陛下を君主とした、国家作りにより、立憲君主制を導入し、貴族院の直接民主制と、選挙の間接民主制により、国民の思いを反映させる。

ナショナリズムを前提とした国家作りだったかと思います。もちろん賛否両論はありますが、プラッシュアップはしていたと思いますね。

さて、この民族精神に呼びかける聖的なものを間違ってはいけません。
ですので神道にまとわりついて政治的活動をしているのは、カルトです。

なぜなら、神道は宗教ではなく道です。それでは道とは何なのかと言えば思考することです。

人は「道」を歩いていかなくてはならないわけで。それにはその道筋を読み取るあなた自身の思考から判断される「プラグマティズム」が必要なんですね。

宗教の場合はまっすぐ歩いて崖があろうと落ちても神の思し召しという真理で片付けてしまう。
もうそういった一神教の教典や、神道を利用した金儲け組織のカルト集団を信じて、自分の人生をおろそかにするのはやめましょう。

お天道様は見てますよ。これもまた道という言葉を使っているわけです。

あなたを救うのも、あなたが納得するのも、あなたの心や脳みそです。これらを思考といいます。
心に響くというのは記憶に連動するから感動したり親近感がわくわけです。
救われたいならいい本を読みましょう。誰も絶対的な解決策なんて持ってないですって。神に携わる聖職者と呼ばれる人も肉は食い酒も飲み高級車に乗り高級時計をしているじゃないですか。俗世に浸かっているんですよ。彼らもただの悩める人間なんです。この人たちが真理を語るとかあったとしたら嘘だわ。彼らもそういった宗教商業主義を広めるための誰かが作ったマニュアル教義を覚えているだけですよ。朝早く起きたからなんなんなんだよ。山に入ったからなんなんだよ。装束を着たからなんなんだよ。神の思し召しって言ったからなんなんだよ。この霊的な壺を買ったら救われるって馬鹿なのかよ、知るかボケです。

宗教を例に言いましたが世の中「こうすればいいHowTo」ばっかりじゃないですか。
人が行動をするにもマニュアルばかり。恋愛もマニュアルがあり、誰かの決めた成功するかわからなん合理的な真理があると人間は楽なんですね。それを信じこうもうとすることが洗脳を受け入れることなんですね。



これで今回の目的は達成しました。きちんと説明できたとおもっています。
なぜわたしが中野剛志氏に感謝するのか。それは、過去の先人たちの客観的な事実と分析を神がかった洞察力で生きた実学としてまとめてくれているからです。


ちなみにですね、ナショナリズムについてちゃんと説明できるってすごいことだと思いますよ。
人の生を語ってしまうのと同じくらいね。

国が富み、兵が強くなる。この意味を多くの国民が理解した時にはじめて民主制という政治体制が機能するのだと思いますね。お天道様がみているんだぜってね。
ここまで読んでくれた方、お疲れ様でした。


富国と強兵―地政経済学序説
中野 剛志
東洋経済新報社
2016-12-09



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