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はじめに
本ブログの目的は、ただしく「国家」の有り様、「日本のナショナリズムは稀なもの」であることを皆が理解することで、ただしい「国家観」を共有すること。
そして「国家」における「国防」が重要であることを明白にすることを目指します。
これを何回かに分けてブログで書いていこうという試みです。

前回は、「国家形成の理論」として「軍事組織と国家組織」について歴史の中で形成された裏付けられた定義を、体系的に頭出しをしました。

相手があるから軍事が必要となるのだが、どういったことが要因で戦争っておきるんだっけ。そしてそれを理解すれば自ずと富国と強兵をめざしますよね、国を守るために。自分を守るために。

ということがご理解いただけるように書きました。その中で今までは間違ったものの見方で、国際関係に配慮すれば大国が守ってくれるよねー、だから売国をしてグローバリズムを取り入れてナショナリズムを無くしていきましょう。。というのが今の日本ですから、当然ながら軍事力が多少あろうが、ナショナリズムを持った敵国には敵いません。ですから、我々もナショナリズムってのをちゃんと理解していきましょうということも、伝わったら幸いです。

って、全て言いたいことを書いてしまいましたが、それを裏付ける歴史事実というのは必要となります。
この本作では、そういう地に足をついた論拠を渇望する人たちに向けて書いております。

今そういうのが必要だと思います。薄っぺらい人間だけにはなりたくないものです。

ということで今回は「租税国家」「軍事技術と国家」「重商主義と経済政策」について、どういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめたものであり、

目指すものとしては、国家と軍事技術の発展に伴う経済政策の進化について追うことで、地政経済学つまり富国と強兵の妥当性を証明することを試みています。

専門的な文言が多くなっていますが、続きとなっていますので、過去のシリーズを読み返してもらえると理解できる内容となっています。









租税国家
  • ヒンツェ曰く、国家構造を形成する主たる原動力は戦争であると論じた。
  • ジョセフ・アロイス・シュンペーター曰く、第一次世界大戦中に「租税国家の危機」を執筆し、近代国家を生み出したのは、中世末期の封建制の財政的な危機と論じた。

財政社会学と国家形成
  • 中世ヨーロッパでは公的領域(公のもの)と私的領域(民間個人のもの)とが未分化であった。つまり国家の概念は存在していなかった。
  • 領域諸侯の財源は、荘園※の従属農民、家臣の貢納、教会の納付のとおり、徴税は存在しなかった。 
  • 14〜15世紀にかけて戦争増大により領域諸侯は財源的困難に陥る。つまりオスマントルコの脅威である。
  • シュンペーターの故郷オーストラリアでは領主の動員で貴族招集部隊で対抗したが、戦うことを専門としていない寄せ集めであり、領主に対して従順ではなく反抗もあっためまとまらず質的に弱体であったため、屈強な傭兵に頼るようになった。
  • 傭兵に費やす費用が増大して財政難になったため、領主は等族(封建秩序のもとで種々の特権を享受していた貴族や聖職者)に対し、個人の敵ではなく「共同の困難」と主張し資金の拠出(租税)を求め賛同を得た。
  • もちろんこの租税は公的なものと位置付けられ、領主の私的財政とは区別された。
  • 次第に領主は公的領域を拡大し、戦争目的以外で租税を徴収するようになった。
  • シュンペーター曰く、この様な過程を経て近代国家は成立した。つまり「共同の困難」に立ち向かうため国家が必要だったと論じた。
  • 社会学者のマイケル・マン曰く、 イギリスやオランダのように富裕層と税の負担で合意できた国は立憲国家となり、 フランスのように富裕層との合意が形成できない国は絶対王政※への道を歩んだと論じた。

「荘園制」とは、ヨーロッパでも日本でも中世時代の頃にあった統治システムで、ポイントは公的支配を受けない、あるいは公的支配を極力制限した、その土地の支配形態の制度・システムである。(wikipedia抜粋) ここに中央集権的な主君と家臣ということで「御恩と奉公」という概念が入ってくると「封建制」という支配統治の概念になっていきます。

「絶対王政」とは、中世までの諸侯や貴族、教会の権力が地方に乱立し、分権的であった状態から王が強大な権力を持って中央集権化を図り、中央官僚と常備軍(近衛兵)によって国家統一を成し遂げた時代に特徴的であった政治形態を指す。(wikipedia抜粋)


軍事技術と国家
  • ウイリアム・マクニールは、大著「戦争の世界史:技術軍隊と社会」にて、軍事技術と軍事組織の歴史的変貌に着目し、これを近代国家の起源として裏付けた。

近代国家の萌芽
  • 西暦紀元1000年頃のヨーロッパ:農村社会の防衛手段は「騎士階級に依存」していた。従って君主は騎士階級に対して「貢税を平民から徴収できる領土を供与し、その見返りに従軍の義務を追った。」
  • しかしそのうち商業が発達したため「市場志向型」つまり社会関係が共同体ではなく「市場」を介することが多くなり、 12世紀には先ほどの騎士階級などの「封建制」※による防衛システムは機能しなかった。
  • 市場志向型の行動様式では、「領地を守るという大義」における団結によって市民民兵隊を組織することが困難になった。
  • 同時に「クロスボウ」という武器が登場。これにより民兵が重武装騎士を倒すことができた。 そのため軍隊を組織的に動かす運営方法つまり「戦争の技芸」つまり戦争スキルが必要となった。
  • 軍人を雇うために徴税して給与を支払う、軍人は支出をする、徴税基盤の民間経済は活気付く一助になる。 つまりイタリア諸都市の市当局は、人間社会が商業で連結され有効に自衛できる手段を発見した。

※封建制度は、封土(ほうど)と呼ばれる土地を介した、主従関係による支配体制を指します。家臣の働きに対して、主君が与える土地のことです。封土には、土地だけでなくその土地の住民(農民)も含まれます。
日本の鎌倉時代の御恩と奉公で説明するとわかりやすいですが、将軍は「御恩」として、御家人と呼ばれる家来に、領地の所有を認めて保護すると同時に、手柄を立てたときには新しい領地を与えます。その代わりに、御家人は内政や戦で将軍の手助けをする「奉公」を誓いました。


軍事の商業化
  • 古代の軍事の運営は、前近代的な軍事的国家としての「司令志向型」行動様式に則っていたが、イタリア人たちは「市場志向型」行動様式が締める商業社会における、近代的な軍隊の運営法を発見したのが「軍事の商業化」である。

大砲の導入 「軍国主義の第一期」
  • しかし、15世紀ごろからイタリアの都市国家の国家システムは、 オスマン、フランス、スペインなどの強大な領土を統治する君主国との競合で劣位に立つことになる。
  • 原因の一つに、火薬革命による大砲の導入つまり軍事上の技術革新。 大砲の製造には鉱山が必要でイタリアは減量生産地から遠かった。陸上輸送も困難であった。
  • 協力が攻城砲の登場で城塞は無力化されたため、小規模の都市国家や領邦国家は弱体化した。

要塞の築城術による イタリアの復権
  • しかし、15世紀末、イタリアは盛土の塁壁と堀を設けて攻城砲に抵抗するという画期的な築城術を開発。
  • 大規模な野戦軍に対して長期間抵抗できたので、西ヨーロッパでは地方勢力が温存され、 ヨーロッパ全土を統一するような大帝国の出現は阻止された。
  • ちなみにアジアや東ヨーロッパはイタリア式築城術が伝わっていなかったので 「ムガール帝国」「モスクワ帝国」「オスマン帝国」という火薬帝国が急成長した。

西ヨーロッパの技術革新 による世界帝国建設
  • しかし、大帝国は優位性に甘んじて技術改良を怠った。
  • これに対して西ヨーロッパは各地方勢力間で競合が続き兵器の改良を続けた。
  • その結果、政界的な帝国建設を可能にした。
  • ヨーロッパ内の戦争はイタリア式築城により攻略を難しくし、軍隊の規模を大きくするため費用がかさんだ。
  • スペインのフェリペ二世の借金元利支払いの停止を余儀なくされた話は有名。

市場経済の発展
  • 国王でも指令による資源動員が困難であった。それは国家の範囲は細分化され、権力が及ぶ範囲での調達が困難だったから。 例えば大砲の調達地域は司教の管理する地域であったため、徴税や強権は通用しなかった。
  • 従って市場を介して人的・経済的資源を動員するために国王が銀行から借金をした。
  • しかし長期的には国家の権力を強化する方向に働いた。
  • 民間企業が国境を超えて貿易や製造を行うことができたことで「規模の経済性」が発揮され、経済規模は拡大した。
  • その結果、徴税基盤も大きくなった。また国家が民間からの借り入れによって資金を調達することで、税収以上の資金調達や支出が可能となった。
  • これは「指令志向型」と「市場志向型」の行動様式の併用で、これにより国家が強大化し市場経済も拡大した。=国家の拡大は市場の圧迫ではなく市場の発展を伴った。
⇨個人的に補足するならば、戦前に日本が国家予算を顧みずに投資をして近代化した満洲、台湾、(無駄になった)朝鮮半島の発展のための投資は、単なる資源を求めて大陸へ渡ったわけではなく、ここで説明した通り経済発展のための「規模の経済」の構築という壮大な計画があったものと思われます。したがって八紘一宇という思想は国民の一致団結を得るためのものであって、国家予算を使った投資は「戦争の技芸」によって勝利を得たからこその領土の拡張の後の、経済発展というナショナリズム的合理性のあったものであったということになるかと思います。ようは当時の日本の国家運営は相当レベルの高かったものであることが証明されたかとおもいます。これも「歴史に学び根本を理解する」ということでございます。


重商主義と経済政策
  • 「重商主義の要諦(肝心)は、国家の軍事的・政治的な力と経済的豊かさは相互に補強しあう関係にある。」

軍国主義の第二期 「戦争の技芸」
  • ドイツは16〜17世紀、長場にかけ宗教改革による新旧の対立の激化により戦争状態であった(30年戦争)
  • 戦争前は政治的管理権が、都市、協会、領邦君主、帝国の間で重複していたが、領邦君主が実効的な領域主権を確立した。
  • この戦争により「戦争の技芸」に革新を引き起こし「軍事の商業化」がドイツに波及したのである。
  • 領主や国王が、企業家的な事業経営による財力を基盤とし、高度に起立された軍隊を駆使するという戦術的な革新を起こし成功した。
  • オランダのマウリッツ公が導入した「戦争の技芸」による革新は、兵士に対する組織的なスキルの鍛錬である。 ヨーロッパで初めて士官学校を創設し、指揮命令系統の元で動く軍隊、近代的な軍事組織を確立し、個人の天性や体格に頼る戦い方を誇る騎士の武勇を過去ものものとした。
  • これにより国王は、貴族階級を圧倒する軍事を、失業者、赤貧の農民の息子を軍人へ改造することで成し得た。 つまり組織的暴力が国家という公的主体によって独占されるようになった。
  • その結果として、国内の治安は良くなり、国府は増大し税収が伸び、ヨーロッパ諸国は税収に頼って常備軍を維持できるようになった。
  • 国を治める策の肝心であった。つまり19世紀まで各国の王侯たちは、組織的暴力を官僚化し、市民社会の中にあっても衛生無害なものにすることにめざましい成功をおさめ、治国策の要諦であり続けた。

軍国主義の第二期 「治国策の要諦」
  • この治国策によってヨーロッパ諸国はヨーロッパ以外の世界に対して「経済」や「軍事」で優位に立ち、帝国主義的に支配し膨張した。
  • 海外貿易の持続的成長で、常備軍の維持負担を容易にした。
  • 海外膨張は「市場志向型行動様式」(資本家や企業家の私利私欲の追求)によって扇動されたが、 この民間行動を保障したのは「指令志向型行動様式」(国家の軍事機構)であった。
  • ヨーロッパではすでに14世紀以降、国家の軍事的な動員は、商業・金融市場に依存するようになっていた。
  • 17世紀半ばのイギリスやフランスの国王たちは、資本家や企業家たちと良好な協力関係を結び、海外事業を展開した。

軍国主義の第二期 「地政経済学=重商主義」
  • 指令志向型と市場志向型の行動様式の融合、つまり国家の指令が市場における経済活動に影響を及ぼすようになった。
  • ここで始めて経済運営のための経済政策という発想が登場した。つまり「重商主義」※つまり経済政策のルーツである。
  • 一般的に重商主義とは、貿易の経常収支の黒字として得られる貴金属を国富とみなし、保護貿易や産業育成策を進める経済政策と理解されていた
  • しかし経済学者のジェイコブ・ヴァイナー曰く、「重商主義の要諦(肝心)は、国家の軍事的・政治的な力と経済的豊かさは相互に補強しあう関係にある。」と論じた。
  • つまり、我々の目指す地政学と経済学の統合理論であって、重商主義は地政経済学の源流である。
※重商主義を簡単に補足すると、16世紀末から18世紀にかけて西ヨーロッパ諸国において支配的であった経済思想とそれに基づく政策。 自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によって資本を蓄積して国富を増大させようとするもの。 輸出が多ければ対外純資産が増え国富となる、つまり国家を意識した経済政策でもあった。

重商主義批判
  • アダム・スミスが創始したとされる近代経済学は、重商主義批判から始まったとされる。
  • 抽象主義者は貴金属の量を国富と同一視していたが、「国富論」で批判した。主流派経済学はこれを出発点としていた。
  • しかしながら彼らは間違った解釈をしていたわけで、アダム・スミス自身は、国家による富の追求と力の追求が相反するとは考えていなかった。彼が拒否したのは重商主義の富の概念である。
⇨これを補足すると、古典派経済学者はバカしかいないので、国家は悪さをする政治は大衆に媚びを売るから問題だという意味不明な前提により、国家が財政投資をするのは間違っているという、個人主義に則ったバカ学問の理論構築が出来上がってしまい、彼らが目指しているのは、個人(リベラル)という単一にした原子論なわけです。なので彼らの学問は多くの人の行動様式を主体とした社会基盤では通用しないのですが、なぜか常に主流経済学として政府に取り入れられているわけです。おそらくはロボットのように数式が決まればそれで問題解決すると彼らは考えているからですね。単なる指標を計算しただけなのに解決策だと勘違いする短略的思考の持ち主でなければ、こんな意味不明な学問を研究する気などおきえません。例えば政治に取り入れた頭の悪い国で言えば自民党の新自由主義路線の小泉構造改革や、アベノミクスが典型ですね。多くの国民を経済弱者にして殺しました。


地政経済学の目指すもの
  • 後継である古典派経済学はこの「国家による富の追求と力の追求」という大前提を見失ってしまった。
  • 我々が目指す「地政経済学」とは、このスミスと重商主義が共有していた「国家による富の追求と力の追求」という「大前提」を回復する試みなのである。
  • この力と富をと同時に追求するヨーロッパ諸国の重商主義は、ヨーロッパの近代化を推し進める原動力となったのである。
  • ヨーロッパの重商主義国家は、国家の栄光を追求して戦争を行うと同時に、軍事力を支える基盤の経済力を増大させることに邁進した。
  • それにより、通貨の統一、法整備、インフラの整備による国内市場の創出、繊維製鉄兵器などの 官営工場設立のような産業政策、国土の開発、治安維持、防災、防疫を行なった。
  • そうすることのインセンティブは、税収と軍事的マンパワーに対する脅威から来るものであった。 1750年以前は、人口成長が鈍化し、国家の野心にとって足かせとなったので、一層強く働いた。
  • 重商主義とは、狭義の経済政策にとどまらず、国土政策や交通政策や厚生政策にまで及び、まさに国家政策の源流といえる。
  • 各国が競合する中で、重商主義の政策成功事例は模倣され伝播していきヨーロッパに近代的な国家が形成されていく。
⇨これらの歴史的事実が証明した全ての解決策について、今の日本を顧みて書いていて涙が止まらなかった。

主流派経済学の問題
  • 自由市場を称揚し、重商主義を否定してきた。そして経済学から密接であった地政学を消去した。
  • しかし歴史が明らかにするところでは、近代的な自由市場とは、重商主義の産物なのであり、 重商主義は国家間の地政学的対立の中から編み出されたものである。


重商主義

アダムスミス


ー今日はここまで編集後記ー
ちなみに「主流派経済学」というのは、現在世界を牛耳っている悪の巣窟の学問で、竹中平蔵慶應大学の経済学関連の教授に多い思想です。財務省の手下といいますか。
緊縮で新自由主義で株主重視で富の独占で格差拡大で国家を滅ぼす、他のアカデミックからは笑われている「経済学」という学問があるそうです。正しい経済学があるとすれば、それは社会学の中の一つとして属さねばなりません。なぜなら経済とは国家と国民との関係性を表す指標であるといえるからです。国家が調節し、その循環する貨幣をもとに国民は営みをする。それを政府が介入してはだめだとか、頭がおかしいとしかいえません。

さて、本日の内容は意外と面白い展開であったとおもいますね。軍事について歴史を振り返るというのは、学校の歴史で戦国時代を学ぶ時というのは結構楽しかったと思います。ですから信長の野望やら三国志というのが永遠にベストセラーなわけですものね。そして経済学にも言及がありました。

くどい程申しておりますが、中野剛志氏の著作をものすごく簡潔にまとめただけなんです。しかも私が取り上げたテーマのための素材は、富国と強兵とうい本の100分の1にも満たない大分端折ったトピックです。要約に要約を重ねコンパクトに要点だけを参考にさせてもらっている点をご注意ください。
そしてだいぶ私の解釈も入っているので、疑問に思ったところは納得するまで調べていただければと思います。

おそらくこの本から様々なテーマを借用しただけで何千通りの論述が書けるのではないかと思います。そのくらい壮大なテーマと、この筆者の神がかった知能と道徳心を、皆が利用すべきなんですね。

中野さんが、駄洒落を言って滑っているとか、顔が大島優子に似ているからだめだとか、そういうのではなく、やはりすごい人を見つけたら素直に教えを請うというのは人間にとって一番重要な柔軟性だとおもいます。

それが年下であろうが学歴がなんであろうがです。その人の今の達観度合いに感嘆できるかが、「今を生きる」プラグマティズムということです。

ちなみに私は一度尊敬した人でも批判的な目でみます。しかし、中野剛志という人物は、社会学者、産業政策立案者、文芸評論家、社会経済学者という肩書きを持ち、それでも私はアカデミックではなくいち官僚でございますといい、かつ国家がやばいと思ったらテレビに出てマスコミを叱り飛ばし世の中のバッシングを一手に受け、既存の戦後保守との討論番組では、「そうなんですよね」って柔らかく相手の意見を聞き入れてから、「そういうの含めてお前が間違ったことを言っているんだよ」という顔面を思いっきり殴ってダウンしてしまうような切れ味鋭い言論に救われた人も多かったのではないでしょうか。
すべてにおいて、国家を守るために生まれてきたような人間だと思われる。

かつて小林秀雄が「古事記」をまとめ上げた本居盛長を「尊敬以外の言葉が出てこない」と言ったように、この「富国と強兵(地政経済学)」を彼が書き上げたことは、私は日本を飛び越え世界からの賞賛に値するのではないかと思うわけです。

中野剛志氏は「いつかは保守になりたいんです。それが目標です。」と、学びもせず政権に媚を売り協賛利権ガー、トランプ最高といっている傀儡老害保守言論人の前でいいました。

そして「でも保守になるにはもっとたくさん学ばなければならないんですよ。」と語ったわけです。

保守という定義が軽んじられていることへの警鐘でもある。彼が保守と言っているのは、右と言われている人からシンボル化された西洋保守思想のバークでもなく、結果として同じ未来が見えてしまったから、この世を諦めてしまった三島由紀夫でもないのでしょう。

それは日本という国家のなかでもがいた、福沢諭吉や小林秀雄や福田恆存のような全ての本質をある程度説明できる膨大な知識量から思考した論理性を持って、社会を正そうとした精神。いやもっと高いのかもしれない、全ての国家の問題に対処できる頭脳を持つための歴史事実の再利用による「やりなおし」の提案ができる頭脳を持ちたいということなのであろう。

だからいま日本が壊されている現状に血反吐を吐く無念さと戦っているのだろう。その気を紛らわすためギャグを挟んでいるのかもしれない・・、そして彼が常に強調するのはプラグマティズムです。

これはなんというか我々国民の進むべき道であり、思考であり、彼にとっては救済なのかもしれません。それでもこのプラグマティズム的思考をとった私は、仕事も人間関係も、多くのものを得ることができていると実感もしているわけです。



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富国と強兵―地政経済学序説
中野 剛志
東洋経済新報社
2016-12-09