よかったらクリックしてランキングに上げていただければ嬉しいですね。


はじめに
本ブログの目的は、ただしく「国家」の有り様、「日本のナショナリズムは稀なもの」であることを皆が理解することで、ただしい「国家観」を共有すること。
そして「国家」における「国防」が重要であることを明白にすることを目指します。
これを何回かに分けてブログで書いていこうという試みです。
前回は、「領土とナショナリズム」について歴史の中で形成された裏付けられた定義を、体系的に頭出しをしました。
今回は、「聖的なる領土」についてどういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめたものです。
この回では日本という国について理解できるのはないかと思う次第です。
専門的な文言が多くなっていますが、過去のシリーズを読み返してもらえると理解できる内容となっています。







聖的なる領土

社会歴史学者のアンソニー・スミス曰く
  • ネイションは単なる「想像」以上の存在でる。社会的な実在であり、集団の意思や感情を引き出し行動を起こす。
  • 人はネイションのために命まで犠牲にする。これは想像を超えたものである。
エミール・デュルケイムの宗教社会学
  • 宗教を社会が共有する規範的な心情と実践を象徴するものとみなした。
  • 人の意思や感情に訴え、未だ実現していない理想に向けて規範的な行動に駆り立てるのが宗教である。
  • 社会というのは規範や行動様式を共有して成り立つ。この認識させる役割を 「聖的な象徴」=「宗教」に他ならない。
  • 「宗教」と「社会」は不可分の関係にある。つまり社会は宗教的な聖的さを帯び、宗教は社会的な性格を持つ。
  • 彼の社会学における宗教とは、「教義」ではなく、「機能」のことである。
  • 彼の社会学的な「宗教」とは、超事前的な正解における救済を希求する特手の心情ではなく、 聖的なものを巡る信仰や実践の体系である。
  • 彼が主張するのは「社会は何らかの聖的な象徴を基盤としているはずだ」 「これがなければ社会はその凝集性を失って分解するだろう」

ナショナリズム
  • 象徴、神話、聖典、芸術、儀式、祭礼といった宗教的な特徴を帯びている。 つまりナショナリズムとは「政治的な宗教」の一種として理解され得る。
  • ネイションの聖的な基盤を構成するものに「領土」がある。 固有の領土を保有するのはナショナリズムというイデオロギーの中核の信条である。
  • ナショナリズムにとって「領土」とは先祖から受け継いできたもので神聖不可侵である。
  • 領土という概念は近代になって確定的になった。しかし人は古より故郷に強い愛着を覚える。

土地とは
  • 土地が人間の性質を形成し、人間が土地の性質を形成する。お互いを形作りあう関係にある。
  • 土地は人々のアイデンティティの一部を構成する。 (砂漠地帯⇨ベドウィン)(北極地帯⇨エスキモー)
  • 特定の土地に愛着や崇敬の念を抱くのは、その土地が彼らの存在の一部だからなのである。

日本の領土
  • 明確に確定したのは明治時代。しかし以前から島国として長い歴史を持ち、 江戸時代は鎖国政策を取っていたということは他国と明確に区別する意識があった。
  • 平田篤胤は、江戸時代後半に国学が勃興し、日本の固有性や優位性を強調するため、 「国生み」や「天孫降臨」の神話と結びつけ、国土の聖性を鼓吹した。
  • この国学の概念を基礎として、ネイションの統合を図り、近代的な国民国家を建設した。
  • 明治維新後の近代日本国家は、この概念を基礎としてネイションの統合を図り、近代的な国民国家を建設した。
  • 日本における領土の聖化という現象は、近代ネイションはエスニーを中核として形成されるスミス理論を体現するものである。

ナショナル・アイデンティティ
  • 領土が主権国家の管轄を決める便宜的なものであれば、紛争を解決するには金銭的な解決方法があるだろう。
  • しかし領土がナショナル・アイデンティティを構成するものでるならば、 領土問題は金では解決しない。つまり誇りのための紛争となる。

聖的なる領土まとめ
  • 「近代主権国家」とは「領域国家」なのであり、「ネイション」の想像の発生源であり「国民国家」へと転化する。
  • しかし昔のロシア・ソ連のように「近代主権国家」ではあるが「国民国家」ではない政体(統治形態)もあるが、ほとんどがその逆である。
  • 「領土」という空間は、「我々」の想像と感情によって補強され、「ネイション」という強力な「共同体」意識を形成し機能し、 「ナショナリズム」という強力な動員力の発生源となる。

ー今回はここまでー
素晴らしい言論が散りばめられた良書に出会うとは、日々思考を止めない人が抱く哲学や論拠を再確認し明文化しているものに出会えたときだと考えます。
ここでわかったことは、日本のナショナリズムの歴史ですね。この章を読み進めて改めて中野剛志氏が目的としたであろう「日本のアイデンティティを明文化した」と解釈していいと思います。
これは非常に大きいと思っています。この章を見たことがこのブログを書く動機付けになりました。
心が震えました。この理論的体系が日本国家形成と日本の民族意識の本質をここまで結論づけていることが、私の心にグサグサ突き刺さったからです。これですよ中野さんと。これがわからないから日本というのは迷走してきたのではないかと。いや先人は、このことを思考しなくても、意識において湧き上がる源泉たるものが日本人にはあったわけです。

大東亜戦争のころまでの日本は、ただただ「お国のため天皇のため」という国家や「みんなで」という共同体そのものを、国民が理解していたということでして、誰も理解できていないようでしたら明治維新でこれだけ近代国家建設において、国民統合一致団結を意識させるスローガンを掲げなかったでしょう。

後期水戸学にみる欧米列強に侵略されないように国を近代的にしなくてはならない。
天皇の神聖不可侵性を日本国民の「聖的ナショナルアイデンティティ」の源泉としなければならない。

本来、欧州や大陸などの覇権国家の直接的脅威がない島国の中で、単一の民族でプラグマティックに國體を守ることが生活を守ることだと理解し、その結果、大東亜戦争前まではこのような小さな国家であっても、列強に屈することなく戦争に負けることなく、国民が一致団結して国威掲揚の下、戦って国を守ってきたわけですね。
国体を守ることが「日々のあわ」つまり生活に浸透していたわけです。
家族をつくり、神棚を祀り、何かあれば神社に手を合わせ、朝早く起きて近所を掃除する。収穫できたらおそそわけする。里山をつくり、川を作り、海を作ってきたのは、國體が生活に根付いていたからだと思いますね。
これは本当にすごいことだと思います。我々の先祖はすごかったわけです。

ですが、今はこういったことを理解しない、愚かな自民党を支持する「保守とは何か」を理解していない、ただの嫌韓で、自分のことばかり考えている新自由主義グローバリストや自己責任論者が「保守」を自称してしまっているわけですから、助け合うこともせず誰かを攻撃して、旭日旗マンセーしているわけです。私はデモ活動で旭日旗を持ちますが戦う時だけです。ファッションで持っている人いませんか?そういう人に限って必ず旗を粗末に扱っているわけです。肩にかけたり、たたむときも適当。そこらへんにがさっとおいたりもする。そういうのが保守活動で我は愛国者なりーとやっている場面をよく見ます。これは注意しなくてはなりません。
これを理解して保守を自称している人はどれくらいいるのだろうか。
おそらくは数は少ないわけです。保守言論人しかり、市民活動家しかり、民族派しかり。そして政治家においてはほぼ存在しないといっていい。などと今更総括することでもないのですが結論として、これでは日本は終わってしまいますね。明白な事実なわけで、誰かが本当のことを言わなくてはなりません。

私は幸い、本を売らなくてはならないとか、みんなから支持を得なくてはならないとか、自民党からお金をもらえる言論人でもないので、そういうしがらみもない普通のいち市民として学んだ結果、いま現在を客観的に見てそう思います。
誰が嘘をついているのかというのもすぐ分かりますし、誰が本当に理解しているかいないのかもすぐ分かります。そういうことに絶望はしますが、そういうもんだとプラグマティズムに思考しております。
それでも強い信念を持ち続け、あたりまえのように目の前の課題と戦っている人もいますし、日本が終わるのを食い止めたいと考えている人もいますし、中には死んでも構わないと思っている人の目を見ることもあります。
そういった心ある人と私もなんらかの形で戦っていきたいと思います。

ズタボロに侵略され破壊されまくるのは軽んじられる国民性に朽ちてしまった時です。ラブアンドピース売国政策を打ち立て支持する自民・維新のグローバリズムワールドで、「馬鹿な国だ」と思われないようにしなくてはなりません。最後まで抵抗している国民性に大東亜戦争時アメリカは脅威を抱き畏敬の念を持ったわけです。

もう国として手を尽くさなくてはならならなかった10年前は過ぎてしまった。
そして経済を軽んじて国力を下げる、やってはいけない消費税増税という重税を2年前にやってしまい国民経済としてのとどめを刺され、その結果乞食政策インバウンドによりパンデミックを自ら呼び込む国に落ちて、習近平国賓待遇で「日本ちょうだい」といえば自民党が「あげちゃう」といってしまう未来を想像できたのではないでしょうか。今の日本は政治が腐っていてグローバリズムを受け入れ、イギリスに計画的に侵略されたアヘン中毒の清国を思い出しますね。
それであればせめて子々孫々のため、侵略者から無下に扱われず、緩やかに日本が終われるようにすることが責務ではないのか。そのことを願ってやみません。

国生み

桜井誠曰く、日本の八百万の神は怒っているのだと。
そういうことです。


ー根本を知ることー
本内容については、中野剛志著「富国と強兵」で提唱した「地政経済学」の理論の妥当性について、歴史を巡り立証していく中で、現在我々日本国民が知る必要があるだろう要点を、私のフィルタを通して端的に抜き出したものであるため、さらに真実を知りたい方は本書を購入し、その深い洞察と壮大な歴史事実の社会学の世界に親しむことをお勧めします。
西部邁氏曰く、人間の深みは数を読むことではなく、良書に出会えること、それを理解して思考して応用できることです。
凡人である私には到底そこには至らないわけですが、それができるのだろうかという、ある種の踠きのために、こうしてブログに書き示しているわけです。
こんなに世の中が見えるようになる体験、いや見えやすくなっているのかもしれない現状でもありますが、それはけして新聞のコラムやツイッターだけでは身につきません。ましてや本をたくさん呼んだからといって同様の体験が得られるわけではありません。
例えば間違って上念司の本を呼んでしまった人は、効率性を重視して全体主義者になろう合理主義者に変えられるかもしれないですし、例えば間違って江崎道朗氏のコミンテルン本を読んでしまった時には、悪いのは近衛文麿だー。コミンテルンだー。という局所理論による勧善懲悪説だけになってしまいます。
いずれの著者も結果的に与党という時の政権下の広報言論人として立派に活躍されているわけですが、それは時の政権を支持することで得られるメリットを享受しているだけであって、国家存亡の危機に立ち向かう言論にはなり得ないわけであります。なぜなら誰が見ても個人の利益を追求してしまっているわけですから。

「富国と強兵。つまり、経済規模は戦争により拡大し、国家は戦争によって変化していく。」
これはなんとなくみなさんは本能で理解できるはずですが、それを理論的に説明できる人はほとんどいません。ですからMMT現代貨幣理論を日本で紹介した。これによって日本国民の経世済民という理解度が増したことは大きかったわけですね。国民の意識までも変えた。そのトリガーは中野剛志さんであったわけです。

誰かがやった副産物の戦略ばかりに興味がいってしまうのは三国志の世界だけで十分です。
大局的や潮流や時代背景を捉えなければ、国家の始まりとイズムとしての形体変化を捉え、なんのために国家は戦争をしていき、何のために国家財政というものがあって、何のために歴史は繰り返されるのだろうか、そしてその根本は何なのだろうか。その連鎖というのは止められるのだろうか。これを見極めることこそ、本当の国家の問題の解決策となり得るわけです。アメリカが古い緊縮の経済学を捨て新自由主義から脱却しました。これは大きいわけですが、日本は一向に変わる気配もない。愚かな自民党ですが諦めずに頑張りましょう。
万が一、神風が吹くことを願って。



富国と強兵―地政経済学序説
中野 剛志
東洋経済新報社
2016-12-09




こちらクリックしていただけるとブログによる周知・拡散力があがります。
ご協力よろしくお願いします。

人気ブログランキング