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20220724追記:統一教会と反共運動の出鱈目について後書きで補足。共産主義についても言及しておりますので興味のある方はご覧ください。
★それでは本題です★
目的は、ただしく「国家」の有り様、「日本のナショナリズムは稀なもの」であることを皆が理解することで、ただしい「国家観」を共有すること。
そして「国家」における「国防」が重要であることを明白にすることを目指します。
これを何回かに分けてブログで書いていこうという試みです。
前回は、「領土とナショナリズム」について歴史の中で形成された裏付けられた定義を、体系的に頭出しをしました。
今回は、「聖的なる領土」についてどういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめたものです。
この回では日本という国について理解できるのはないかと思う次第です。
専門的な文言が多くなっていますが、過去のシリーズを読み返してもらえると理解できる内容となっています。
http://amachan007.techblog.jp/archives/35391166.html
http://amachan007.techblog.jp/archives/35444430.html
http://amachan007.techblog.jp/archives/35502484.html
この回では日本という国について理解できるのはないかと思う次第です。
専門的な文言が多くなっていますが、過去のシリーズを読み返してもらえると理解できる内容となっています。
http://amachan007.techblog.jp/archives/35391166.html
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聖的なる領土
社会歴史学者のアンソニー・スミス曰く
- ネイションは共同体の中の共通の「意識」の「想像」以上の存在でる。これは社会的な実在であり、集団の意思や感情を引き出し行動を起こす原動力である。
- 人はネイションのために命まで犠牲にする。これは「想像」を超えたものである。
これは西洋の共同体同士の紛争、そして隣接国がない島国日本であろうとも、侵略に対して団結して抵抗した事実で理解できると思います。
エミール・デュルケイムの宗教社会学
- 宗教を社会が共有する規範的な心情と実践を象徴するものとみなした。
- 人の意思や感情に訴え、未だ実現していない理想に向けて規範的な行動に駆り立てるのが宗教である。
- 社会というのは規範や行動様式を共有して成り立つ。この認識させる役割を 「聖的な象徴」=「宗教」に他ならない。
- 「宗教」と「社会」は不可分の関係にある。つまり社会は宗教的な聖的さを帯び、宗教は社会的な性格を持つ。
- 彼の社会学における宗教とは、「教義」ではなく、「機能」のことである。
- 彼の社会学的な「宗教」とは、超事前的な正解における救済を希求する心情(補足:一神教に見られる世紀末的な救済願望やユートピア願望のこと)ではなく、 聖的なものを巡る信仰や実践の体系(日本においては古来から継承される五穀豊穣、すべてのものに神が宿るという考えから、感謝を忘れず祀る精神)である。
- 彼が主張するのは「社会は何らかの聖的な象徴を基盤としているはずだ」 「これがなければ社会はその凝集性を失って分解するだろう」ということである。
これについては日本の歴史を見れば分かる通り、神社を中心として祀りごとが政ごととして共同体の意思決定がされてきたことを踏まえれば、なるほどその通りだと思います。
ナショナリズム
- 象徴、神話、聖典、芸術、儀式、祭礼といった宗教的な特徴を帯びている。 つまりナショナリズムとは「政治的な宗教」の一種として理解され得る。
- ネイションの聖的な基盤を構成するものに「領土」がある。 固有の領土を保有するのはナショナリズムというイデオロギーの中核の信条である。
- ナショナリズムにとって「領土」とは先祖から受け継いできたもので神聖不可侵である。
- 領土という概念は近代になって確定的になった。しかし人は古より故郷に強い愛着を覚える。
私はこれを宗教や思想を持ってして制度という解釈をすることが正しいというのは理解できますが、これらを「道」と言い換えてもいいと思っています。
私は盲目にカリスマの教義の真理を信じることと、今を生きて生きるための思考を、明確に分けたいと思うので、前者は宗教だと定義しており、後者を道だと考えております。
皆さんはどうでしょうか。もっとも、用語の定義ではなく中身を理解していることが重要ではあるのですが。この政治とカネと政治の問題において、この問題はもっと議論されなくてはならない重要な根本だとおもっています。これらを間違ってきたからこそ、日本は國民が蔑ろにされてきたわけですから。
そして、政治がやるべきことは、國民を食べさせること、そして領土を守ることだということが、ナショナリズムの観点において重要であることが、お分かりいただけると思います。
今、日本の政治はそうなっているでしょうか。
土地とは
- 土地が人間の性質を形成し、人間が土地の性質を形成する。お互いを形作りあう関係にある。
- 土地は人々のアイデンティティの一部を構成する。 (砂漠地帯⇨ベドウィン)(北極地帯⇨エスキモー)
- 特定の土地に愛着や崇敬の念を抱くのは、その土地が彼らの存在の一部だからなのである。
日本の領土
- 明確に確定したのは明治時代。しかし以前から島国として長い歴史を持ち、 江戸時代は鎖国政策を取っていたということは他国と明確に区別する意識があった。
- 平田篤胤は、江戸時代後半に国学が勃興し、日本の固有性や優位性を強調するため、 「国生み」や「天孫降臨」の神話と結びつけ、国土の聖性を鼓吹した。
- この国学の概念を基礎として、ネイションの統合を図り、近代的な国民国家を建設した。
- 明治維新後の近代日本国家は、この概念を基礎としてネイションの統合を図り、近代的な国民国家を建設した。
- 日本における領土の聖化という現象は、「近代のネイションはエスニー(文化的共同体)の積み重ねや脈々と受け継がれる連続性を中核として形成される」という、スミス理論を体現するものである。
ナショナル・アイデンティティ
- 領土が主権国家の管轄を決める便宜的なものであれば取るに足らず、であれば紛争を解決するには金銭的な解決方法で十分だろう。
- しかし領土がナショナル・アイデンティティを構成するものでるならば、 領土問題は金では解決しない。つまり誇りのための紛争となる。
今の日本は領土を軽く手放す政治が行われています。安倍晋三首相は北方領土をはじめ、ロシア側に投資、つまり金で解決しようとしました。そして今交渉はできていますか。ナショナリズムを守ろうとするのが保守ですが、これらを理解しても自民党は保守だと口が裂けても言えないでしょう。
これが日本の根本の問題なんです。
これが日本の根本の問題なんです。
聖的なる領土まとめ
- 「近代主権国家」とは「領域国家」なのであり、「ネイション」の想像の発生源であり「国民国家」へと転化する。
- しかし昔のロシア・ソ連のように「近代主権国家」ではあるが「国民国家」ではない政体(統治形態)もあるが、ほとんどがその逆である。
- 「領土」という空間は、「我々」の想像と感情によって補強され、「ネイション」という強力な「共同体」意識を形成し機能し、 「ナショナリズム」という強力な動員力の発生源となる。
★今回はここまで★
素晴らしい良書に出会うとは、日々思考を止めない人が抱く哲学や論拠を再確認できたとき、つまりその意味が明文化されているものに出会えたときだと考えます。
ここでわかったことは、日本のナショナリズムの歴史ですね。とても貴重な知識を手に入れたのだとおもいます。
この章を読み進めて改めて中野剛志氏が目的としたであろう「日本のアイデンティティを明文化した」と解釈していいでしょう。これは誰もやろうと思ってもできなかったことをやってのけたわけで、社会学及び歴史学の先人の知恵をまとめ上げ、日本のナショナリズムの正体を論理的にも化学的にも歴史的にも証明したものとなります。
おそろしい頭脳と、ナショナリズムの持ち主なのだとおもいます。
これは非常に大きいと思っています。私はこの章を見たことで、みんなに知ってほしいと言う衝動からこのシリーズを書く動機付けになりました。
心が震えました。この理論的体系の知識の構造が日本国家形成と日本の民族意識の本質をここまで結論づけていることが、私の心にグサグサ突き刺さったからです。
これですよ中野さん!と。これがわからないから日本人というのは迷走してきたんだ!
と。いや本来國民はこんなことがわからなくても政治つまり公は理解しているはずだった。どの国もそうです。あの中国だって国家を反映させるという一点だけはずっと継続している。これだって国民統合なんですよ。
そしてこのことを思考しなくても、意識において湧き上がる源泉たるものが過去の日本の先人にはあったわけです。
大東亜戦争のころまでの日本は、ただただ「お国のため天皇のため」という国家や「みんなで」という共同体そのものを、国民が理解していたということでして、誰も理解できていないようでしたら明治維新でこれだけ近代国家建設において、国民統合一致団結を意識させるスローガンを掲げなかったでしょう。
そのことを疑問に思う方がいるならが、福沢諭吉先生の本を手に取るがよろし。
後期水戸学にみる欧米列強に侵略されないように国を近代的にしなくてはならない。
天皇の神聖不可侵性を日本国民の「聖的ナショナルアイデンティティ」の源泉としなければならない。
本来、欧州や大陸などの覇権国家の直接的脅威がない島国の中で、単一の民族でプラグマティックに國體を守ることが生活を守ることだと理解し、その結果、大東亜戦争前まではこのような小さな国家であっても、列強に屈することなく戦争に負けることなく、国民が一致団結して国威掲揚の下、戦って国を守ってきたわけですね。
国体を守ることが「日々のあわ」つまり生活に浸透していたわけです。
家族をつくり、神棚を祀り、何かあれば神社に手を合わせ、朝早く起きて近所を掃除する。収穫できたらおそそわけする。里山をつくり、川を作り、海を作ってきたのは、國體が生活に根付いていたからだと思いますね。
これは本当にすごいことだと思います。我々の先祖はすごかったわけです。
私は幸い、本を売らなくてはならないとか、みんなから支持を得なくてはならないとか、自民党からお金をもらえる言論人でもないので、そういうしがらみもない普通のいち市民として学んだ結果、いま現在を客観的に見てそう思います。

★統一教会勝共連合の出鱈目な共産主義闘争と自民党の癒着「右側が利用され続けた問題」★
多くの犠牲者を出したオウム真理教の支援団体だった、反共を利用して壺を売り日本の女性を朝鮮半島に集団結婚という形で合法的に奴隷にするために拉致を繰り返している、統一教会・勝共連合というカルト宗教ビジネス組織の協力関係のおかげで自民党が長期政権を盤石にしている権力構造により、その連携組織である笹川財団や日本財団という財務省と連携して緊縮財政を誘導している(竹中平蔵も在籍)団体の政策提言が実行され、国民が蔑ろにされ、貧困が増大し、日本の高度経済成長の伸び代を止められ、格差拡大型社会に変えられ、益々国民が分断され、その隙に統一教会勝共連合が政権与党を通して権力の拡大をしてきたのは、皆さんもなんとなく理解できてきたかと思われます。
だから財政に対して保守が声をあげてほしい、そうすれば根本の問題が見えてくると採算言っていたわけです。今後どう解決していくのか握りつぶされるのかはわかりませんが、ひとまず安堵しております。
おそらくは結局は何らかの大きな力が働いたんでしょう。この国に自浄能力があるとは到底考えられませんので。これが八百万の神の力だと信じたいですね。
それだけではなく、ナショナリズムというものを理解しない国民の大衆化により、民主主義を自ら崩壊させるという、ヨーロッパに登場してきたあるある愚民大衆に成り下がってしまった今、当然ながら国家崩壊が一歩ずつ近づいているなかで、もう一度、国家という領土性、そしてその中における同じ認識を共有する人たちの民族性の中に生まれる、感謝の気持ちから生まれる信仰からくる精神性で維持される宗教(私は道だと理解している)は、本来は聖的なものであるという、ナショナル・アイデンティティについて、私たちはしっかり理解する必要があるのではないか。
それは国を守るために戦った英霊であり、太陽や空や山や海や土や水や火などの八百万の神であり、それらに感謝をして祈り続ける氏子様が天皇陛下であるという、これが日本のナショナル・アイデンティティだということをもう一度我々は日本人として理解すべき時なんだろうとおもいます。
それでも始まってしまった崩壊は止まらないわけですけれども、根本は理解することが重要だとおもうんですね。
レーニンの時代、第一世界インターナショナルという通称コムインターナショナル「コミンテルン」が暗躍し、戦前にスパイ活動でスターリンの恐怖政治により暗躍したのは事実です。レーニンはここでは省略しますが国家という共同体を恨んでいたので、世界が自由と平等で画一されたユートピアにするという思想を持って、革命を起こしていたわけですが、これはマルクスの経済思想を利用しただけです。
そしてこれを資金面で動かしていたのは世界の自由主義の富裕層です。武器が売れるのと、植民地支配の継続性のため、日本が邪魔だったからです。だからスターリンを煽ったんですね。
時を経て、戦後暴れまくったのは朝鮮人なのは歴史書にも記載がある通りです。当時の新聞にそう書かれています。実際に記録に残っているのですから否定はいけません。
実際になぜと言うくらいに、駅前の一等地に在日朝鮮人の方がオーナーになっているパチンコが立ち並んでいるわけです。これは誰もが理解している問題点です。ですがそこに共産主義者が加わっていたというのは時系列的には違うんだろうとおもいます。
あったとしたら、学生運動が加熱をした時期に、最初は日米安保で日米地位協定に反対をしていたまともな学生運動から、いつしか理屈をこねくり回して暴徒化していったのは、中国の在日の学生に戦争責任を問われ理論武装で太刀打ちできなかったというお粗末な結果からでありアイデンティティを保てなくなったから、つまり日本人が自分の国に自信を持てない教育をされてきたことの結実であり、つまり「日本が悪い」と思い込んでいたからに他ならず、その原因を作ったのはだれなのかといえば、アメリカが日本を統治するために行った、反共運動です。怒りの矛先を自分達に向かわないように。
この学内闘争においては社会主義のトロツキストがいたり、共産党の団体がいて、お互いで殴り合いをしていた中で、治安維持のために右翼民族派の皆さんの力を警察が頼って、その後は使い捨てのように自民党が見限ったという歴史もあったわけです。だから民族派のみなさんはその歴史を理解しているから自民党に対しても怒っているわけでしょう。国家のために戦ったのに警察から敵視されているのはなぜなのか。
といいますか、警察を動かしているのは政権与党ですので誰も異論はないでしょう。
この問題についても、保守及び右側は怒るべきだとおもいますが、その背景にはやはり統一教会宗教団体が反共運動を絵に描いた餅にすべく暗躍していたんだと思います。
問題の共産主義についてざっくり説明します。
共産主義とは共同管理的資本主義であり、マルクスが唱えた資本家から労働者が搾取されないように、国家が資本を投じて、その後は國民みんなで管理をして同じ対価を得ようという考え方となります。つまり経済思想なんですね。
社会主義と同様に国家が公共事業はやるけれども、すべてみんなで管理しようということですが、結局は、公共インフラや生産性向上や社会保障も含めた「生産諸力」の動機付け、つまり國民が統合して団結して生産力を上げましょうということ自体を否定してしまいました。これはスターリンという指導者への富の集中が目的にすり替えられてしまったわけです。
結果として社会構造が指導者を富裕層化するために構造改革され、結局のところ格差拡大になった経緯があります。スターリンは、直近のものだけに特権を与えました。お金です。こうして恐怖政治を醸成する専制主義の政治の中で共産主義という経済主義が利用されたというだけです。そもそもは共産主義とは国家経済運営方式のことをいいます。
共産主義を嫌ったのは資本主義を自己責任としたい新自由主義であってレッテル貼りがなされたわけですが、もし赤と呼ばれたソ連側の共産主義を敵視するのであれば、専制主義と言い換えてほしいものです。
社会主義と同様に国家が公共事業はやるけれども、すべてみんなで管理しようということですが、結局は、公共インフラや生産性向上や社会保障も含めた「生産諸力」の動機付け、つまり國民が統合して団結して生産力を上げましょうということ自体を否定してしまいました。これはスターリンという指導者への富の集中が目的にすり替えられてしまったわけです。
結果として社会構造が指導者を富裕層化するために構造改革され、結局のところ格差拡大になった経緯があります。スターリンは、直近のものだけに特権を与えました。お金です。こうして恐怖政治を醸成する専制主義の政治の中で共産主義という経済主義が利用されたというだけです。そもそもは共産主義とは国家経済運営方式のことをいいます。
共産主義を嫌ったのは資本主義を自己責任としたい新自由主義であってレッテル貼りがなされたわけですが、もし赤と呼ばれたソ連側の共産主義を敵視するのであれば、専制主義と言い換えてほしいものです。
共産主義を理解したところで当時を振り返ると、共産主義と混同される左翼については、いちおう愛国者はいたわけです。つまり、戦後処理の問題が疎かにされて、イデオロギーの整理がなされぬまま、誰が国を思っているのか、だれが国を壊しているのか、だれが個人主義なのか、というミクロ的な視点での対立が続きました。「共産主義は日本の敵だーby全体主義」という矛盾が戦後もまかり通っていたと言うことになります。
たしかにソ連のスパイが入り込んでいたから情報が筒抜けで日本の敗戦の要因にはなりましたが、それと同じくらいに山本五十六の暴走に見る、海軍と陸軍の対立による破綻という自滅もあったわけです。
そしてその後は、「ソ連ロシアの共産主義を利用した専制主義体制」vs「行き過ぎた資本主義と個人主義が強い自由主義国のアメリカ」との冷戦構造へと進んでいったことで、日本の戦後のイデオロギーの対立構造の問題がうやむやのままになってしまったが、日本は戦争特需により高度経済成長を迎えることができたので、この問題に誰も関心を示さなくなった。
その共産主義が何をしたのかという問題をだれも明文化せずに、後回しにしたまま統一教会の反共運動は勢力を増して行き、やりたい放題の80年代を迎えたわけです。そこに同和のようなさまざまな利権構造が雪だるま方式に膨らんでいった。
だれが反日なのか。事実は理解すべきです。
この仕組まれた戦後統治のためのイデオロギー分断工作に、いつしか「アメリカは日本のお父さんだ」という考え方に簡単に洗脳されてしまった。これが戦後傀儡保守と新自由主義の連携です。
そしていつしか、この新自由主義の小さな政府主義により、国家予算を削り、全て民営化するという中曽根時代の国家破壊を自民党は露骨にしていったわけです。
この時代から、政治は責任を取らず、政治は金儲けをして、軍事はアメリカに守ってもらうのだから属国として運命確定、そうやって国民を騙し続け不満や文句があれば自己責任だという、政治が責任を取らなくなった国家消滅の第一歩が始まったわけです。
労働者を守るはずの労働組合を憎んだのは保守側でしたが、これで誰が得をするのか、それは経営者である富裕層です。
確かに労働組合に頭のおかしい人権リベラル陣営が入り込んでいたのは理解しますが、これを許容してきたのはどの政党だったんでしょうか。共産党や立憲や社会党ではありません、自民党です。本当に排除したいのであれば政権与党としてヘイトスピーチ抑止法のように簡単に労働組合の反日リベラル運動を規制できたはずですが、労働組合を富裕層は邪魔だったので、それを反日認定する口実を与えて、世論を味方にして、国鉄民営化などの小さな政府として舵を切る口実にしていった、つまり政治利用をして行ったわけですが、その思惑を描いてたいのは勝共連合であると断言してもいいでしょう。目的が合致するわけですから。ありもしない共産主義思想は反日だ行為だから共産主義に勝つために勝共連合は必要だという喧伝材料がいきてくるわけです。
この反共運動は新自由主義にも都合がよかった。富裕層のために労働者が賃金を上げることを要求できなくするからですね、そして竹中平蔵がいった「正社員は既得権益だから非正規バイトで流動化でいいじゃないか」という政策が受け入れられ、いまの国民貧困化政策と、自由貿易による国際競争力という低賃金化、そして日本のナショナルアイデンティティの崩壊である移民労働者受け入れが始まったのです。
これを誰がやったのか、自民党を支持されている自称保守のみなさんは、100%脳みそがないとは思いますが、空っぽの頭で考えてみれば分かるかと思います。今更わかったところで遅いんですけども。
これは新自由主義を保守が受け入れてしまった結実なのです。
私の所属していた公共政策をつくるとある組織でも、「高齢者になって蓄えがないとか年金に甘えるとかありえない、自己責任だろ」といっていた愚かな役員がいましたけども、結局こういう考えこそが国民を分断に導き国家を消滅させる傀儡保守だと、自分で気づいていないのが多すぎるのです。
武士は食わねど高楊枝など恥ずかしいことは言うな。ご飯は食え、じゃあ誰が提供するんだ、この国を守る国に決まってんだろうが。
ナショナリズムとは国民主義であることを理解していない愚かな人間は保守を名乗らないで頂きたい。
それを否定するのは保守ではない、却って国を消滅させるだけの存在だ。
そういう考えを受け入れられない愚かな大衆は、早いとここの世から消えてなくってくれないかと切に願います。
ー根本を知ることー
本内容については、中野剛志著「富国と強兵」で提唱した「地政経済学」の理論の妥当性について、歴史を巡り立証していく中で、現在我々日本国民が知る必要があるだろう要点を、私のフィルタを通して端的に抜き出したものであるため、さらに真実を知りたい方は本書を購入し、その深い洞察と壮大な歴史事実の社会学の世界に親しむことをお勧めします。
西部邁氏曰く、人間が知識を素に人としての深みを得るのであれば、なにも本の数を読んだからではなく、良書に出会えることであり、それを理解して思考して応用できることである。と語っていた意味を知った。
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