はじめに
本ブログの目的は、ただしく「国家」の有り様、「日本のナショナリズムは稀なもの」であることを皆が理解することで、ただしい「国家観」を共有すること。
そして「国家」における「国防」が重要であることを明白にすることを目指します。
これを何回かに分けてブログで書いていこうという試みです。
前回は、領域国家の権力と個人について歴史の中で形成された裏付けられた定義を、体系的に頭出しをしました。
今回は、「領土とナショナリズム」についてどういう構成要素になっているかというのを簡潔にまとめたものです。







領土とナショナリズム

今日「領域国家=主権国家」は、概ね「国民国家(ネイション・ステイト)」という形態をとっている。
近代においては「国家」(ステイト)が「領土性」を強く帯びる。
それでは「国民」(ネイション)は「領土性」とどのような関係にあるのか。
「ネイション」とは政治的共同体(制度や権利や義務の体系を有する共同体)の一種である。
社会学者アンソニー・スミス曰く、ネイションの概念は社会学的に「シヴィック・モデル」と「エスニック・モデル」があるという。
  • 「civic」とは「都市の」「市民の」という意味
  • 「ethnic」とは「風俗・習慣」「文化・伝統」=「民族的」という意味

そして、
  • 「シヴィック・ネイション」とは、西洋型モデルで、法制度の共有・法的・政治的平等・・・歴史的領土の保有であり=「領域ネイション」と言われる。
  • 「エスニック・ネイション」とは、非西洋世界モデルで、家系や血統・文化・言語・習慣を強調するネイションである。
実際のネイションについては、両方の要素を兼ね備えている。
例えばフランス革命下においては、法的・政治的平等を掲げつつも、 フランス語・フランス文化のナショナリズムとしての誇りも同時発生させたわけです。
これらを踏まえスミスはネイションについて改めて定義したのは、
ネイションとは「歴史的領土、共通の神話や歴史的記憶、大衆、公的文化、共通の経済、 すべての構成に対して共通の法的権利義務を共有する特定の人々」のこと。
従って「ネイション」は「領土」を必須の構成要素とする。 そして近代においては「国家」(ステイト)もまた「領土性」を特徴としている。
「ネイションとは何か」ではなく「人々が何をネイションと信じているか」が正しい。
ネイションの概念
  • 一定の集団の構成員が互いを同じ国民だおと思う限りにおいて、その集団はネイションなのである。=国民国家である。
  • 同じ国家に帰属する民族や人民であっても互いを同じ国民と認めなければ、その国家の人民はネイションではない=国民国家ではない
  • 人種・民族・言語・宗教が違う人でも、お互いに同じ国民だと 「意識を共有」していれば、彼らはネイションと呼べる。
◯例えば、スイス・ベルギー・アメリカはじめ多民族でのネイションがほとんどである。
◯日本のように民族的・言語的に同質性が高いネイションは珍しい。
◯政治学者のベネディクト・アンダーソン曰く、「ネイション」とは、極めて想像的で国民意識的で主観的であり、その概念として「想像の共同体」と結論づけた。

ネイションの想像
  • 歴史学者のアーネスト・ゲルナー曰く、ネイションという「意識」を創造したのは近代産業社会であるといった。
  • 高い移動性・発達したコミュニケーション能力・教育システムにより 、慣習・地域共同体・伝統的地位に拘束されず、広範囲の交流により、標準言語と画一的な文化を共有するようになった。
  • この「画一的な文化の共有」こそが、人々の間に同じネイションに帰属しているという意識をもたらす。
  • アンダーソンも、資本主義が、印刷出版の普及を通じ、人々に共同体の構成んである意識を芽生えさせ、 教育や行政によりナショナリズムを注入したことで「ネイションの想像」が形作られたと論じた。
  • 近代国家が、近代産業資本主義のもたらすコミュニケーション発達や教育制度により「ネイションの想像」を生み出していると結論づけられる。

想像の共同体の制約
  • ネイションという「想像の共同体」が生み出されるのは、 [近代国家]⇨[個人に権利と義務と公的サービスを提供]⇨[個人は同一の政治共同体に属していると想像する] ⇨[国家運営に関与しているという一体感を得る]⇨結果人々に「ネイションの想像」が伴う。
  • これらが、近代主権国家が多くの場合、国民主権つまり「国民国家」という形態をとる理由である。
  • 「近代主権国家」は「領域国家」でもある。「ネイションの想像」が及ぶ範囲は「領土」の内部に留まる。その境界を超えれば「他の領土」である。
  • 宗教的・民族集団の(エスニック・グループ)共同体は「想像の共同体」ではあるが、国境にとらわれずに存在し得る。 例えば他国にいる日本国民や宗教的グループなどがそれにあたる。
  • これに対して「ネイションという共同体」は「領土の制約」を受けるが、領土の範囲を示す「地図」がネイション形成において役割を果たす。

地図の重要性
  • アンダーソン曰く、オランダに植民地時代に、多民族のインドネシアの人々におけるナショナリズム形成は 「人口調査・地図・博物館」が重要な意味を持った。 中でも地図は支配領域の意識と想像に役立った。その領域内における絆が強まったからだ。 そして独立後もそれは維持された。ちなみにインドネシアの事例と同様に、他の国でも植民地から解放された後もその国境を維持し続けた。
  • つまり「地図」が「国民統合を促す上で」重要な役割を果たしたのである。

共同体の象徴
  • 共同体は想像であるため物理的存在ではない。だが人は実感を与えてくれる「象徴」が必要となる。
  • 「ネイション」の場合、歴史・文化・言語が挙げられ、「領土」も象徴の一つである。
  • つまり「想像の共同体」の建設は「地図」が必要であり、それを作成・設計する官僚制国家機構と、 構築をする産業技術や測量技術を必要とする。
ーつづくー

領土とナショナリズム


といことで、ここまでとなります。
あとは私の思考のアウトプットとなりますので、不要であればここで読み終えてください。

西部邁氏亡き今、唯一であろう日本派の社会学言論人といえる中野剛志氏が、「まだ間に合うかもしれない、だから日本滅亡するまえに緊縮とグローバリズムに国家が破壊されているのだから、国家とか国防の意義ついてちゃんと理解しませんか」というメッセージを込めた著作「富国と強兵」から、その概要について体系的に頭出しをしました。
書籍を見ていただければわかりますが、本来保守を理解した言論人が人生の大半を使って最後に書くような内容を、40代という若さで書き示せたのは、おそらく彼が本を読むのが異常に速い(本人談)ために得られる情報量の深さということもあるが、社会学者であること、ナショナリズムの発祥の地でナショナリズム関連の博士号を取得したこと、そして歴史から学ぶというエビデンスを重要視し、体系的に起源と結論を「地政経済学」という新しく本来当たり前の概念の正当性の論証と最適解を提示していることから、驚異の国家マニュアルになり得たのは、彼が日本の素晴らしい学問である論語、そして国学により国家観というものを理解し、「国民統合一致団結」が肝であり、それを時節を読み実装していくのは「プラグマティズム」である。という人間の生の中の思考において基本中の基本を身につけていたからである。
合理主義が何故ダメなのかは前に論じたところですが、今の世の中は新自由主義に見られ通り、このプラグマティズムが忘れ去られ、すべて誰かの意図で合理性によって作られた経典やマニュアルに合わせることで安心感を得、徳を自ら捨て、最終的に経済という得までも失い、それがマクロで見ると国家が侵略秒読み段階という自滅に向かってしまっているわけです。

社会学においては「ロックイン」という概念があるそうです。
つまりスマホやキャリアの初期費用については0円でいいよっていう囲い込みビジネスですね。最初はお試しでという売り込みに誘われたわけですが、新しいスマホが出るたびに更新しないと、このスマホから他に乗り換えるにも膨大な手間が発生し、ずっとそのスマホ会社を使い続けなくてはならなくなる。ということがあると思いますね。実際私もそうです。
グローバリズムにおける自由貿易もそうで、上念司みたいな雑魚キャラお抱え評論家が、「一度試してみて嫌だったら抜けちゃえばいいんですよー、反対しているやつらは頭が没落してるんじゃないですかねー、某国バカですよー。ジャンピング土下座をしてもらいたいですねー、ファンネルつかうほどでもないですよー」とクソザコ発言をしてましたね。彼が馬鹿なのがこの言論でも分かる通り、ロックインという社会学について理解していないから適当になんでもベシャれるわけなんですね。誰でも評論家・誰でもエコノミストの代表格です。

そしてどうなったかといえば、TPPはアメリカが抜けたわけですが、その際に提示された膨大な自由化リスト以上の島国の土地が狭い日本が大事にしなくてはならない守らなくてはならない農業やら、日本の強みでもある精密機械産業などが、日米FTAで締結されてしまったわけです。最初は米は関税据え置きとありますが、デフレ化の日本ですから大量生産の安価なコメを生きていくために求めてしまう。結果的に見直しがされるのが貿易協定ルールですので、どんどんルールは変えられていって無関税になるでしょう。これも過去の経緯から言えることです。全ての産業が大国との支配下に置かれる。
だから保護貿易というものが政治的に必要な所以ですが、国際競争力がーという新自由主義者がそれを許しません。そうやってグローバリストの工作圧力に屈してくわけですが・・・

いやいや日本は神の国であるから外敵には断固としてある一定を踏み越えたら親友のUSAでもゆるさんぞ神国日本は!とか抜かしている馬鹿な老害戦後保守もいますね。
早く死ねよ。お前らなんかいらねーんだよ。って言っちゃダメですよー。

そもそもなぜ自民党が進んで国際協調の枠組みに入りたくて自由貿易で自滅していくかといえば、国防をアメリカに頼りきっているからです。ようは安倍晋三の日韓合意やロシアバラマキ外交を見れば分かる通り、戦争責任とかいうわけのわからないレッテル貼りの責任を取らされるのが嫌で逃げているわけです。政治家が責任を取りたくないので謝罪しまくっているわけです。国民つまり先人の貯めてきた対外資産を使って。自民党の金でもなんでもないのに安倍晋三は手柄にしていったわけですが、実際には日本という国はATMとして機能するためだけの存在であり、政治や威厳の世界においては全く地球儀上で機能しなくなりました。なぜかといえば平成から令和の即位の儀の比較においての各国の要人の参列をみればわかりますね。
これは自民党が自ら招いたわけですが、国民にとってはたまったものではありません。そしてコロナパンデミックさえも守れない安っぽい国家に成り下がっていったわけです。
そういう意味において、このナショナリズムと国防について、国家の領域の線引きがどんどん小さくなっていく前に、国民全員が「一致団結」することの意味を理解することが重要だと思う次第です。
なんども言いますが、もう遅いわけです。時計は巻き戻せませんからね。それでも抵抗してことの成り行きを遅らせることにより、チャンスは来るのではないかと考えております。そしてもしかすると国民の精神が正しい方向にいくのであれば、八百万の神様が手を貸してくれるやもしれない。それもまた国家に与えられた宿命なのであるならば、今まで気づかなかった分、取り戻すために悪の元凶と国民は戦わなければならないということなのだろうと、思う次第です。


富国と強兵―地政経済学序説
中野 剛志
東洋経済新報社
2016-12-09



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