20210701 訂正:「重商主義」をいかにも拝金主義な言い回しで書いてしまいましたが、実際には重商主義こそが近代国家を作る上での地政経済学の肝でした。私はつかれていたのです(笑)勉強不足で申し訳ありませんでした。「拝金主義」に訂正させていただきました。
20210724追記:前段でこのブログを書いた背景を整理。
20220717追記:統一勝共・日本会議の問題で世論がおかしくなっているので、「神道は宗教にあらず人の道を考えさせるもの」ということを強調。





みなさんは、国家やナショナリズムや國體護持や保守思想というのをきちんと理解されていますでしょうか。
わたしも最近きちんと理解しましたが、まだまだです。
いちど誰も言えないだろう批判を書いて膿を出し切っていこうと思います。

旭日旗を適当に扱ってもとりま振ってればいいんだー!日章旗よりも旭日旗の方がおしゃれだー!なんかおれ旭日旗持ってる姿がネトウヨっぽくてかっこいい!とりあえず純血しか認めないぜー外国人は誰も彼も出て行けー!韓国はこっち向くなー!共産主義者はやばいー!安倍ちゃんかわいい!安倍さんは財務省と戦っているー悪いのは悪夢の民主党だー!プーチンにばらまいて北方領土問題語られなくなったり、竹島問題棚上げ、習近平招聘を画策したり、日韓合意で謝罪したのも、戦略的に安倍さんには何か考えがあるー!安倍さんは外交の天才だー!自民党最高!勝共連合は宗教じゃないー反共思想だー!新自由主義が小さな政府で保守だー!お国のためにわがまま言わずに働けー!安月給でも文句言うなー自己責任だー!アメリカは日本のお父さんだー!自由貿易で国際秩序に入ってアメリカに日本を守ってもらおうー!神国日本なので中国に負けるはずがないー!オリンピック応援しない奴は反日だー!天皇の大御心とか政治利用するなー安倍ちゃんがやりたかった五輪のほうを優先しろー、天皇の国民を思う気持ちというありもしないデマに潰されてたまるかー!統一教会は保守団体だー!(new)

これ全部間違いです。普通に考えればわかりますね。こんなに日本人ではない人間が日本人のふりしているわけですよ。もし日本人なのであれば馬鹿なんですかねあなたたちは。とう言う人が多くなりました。

金持ち富裕層工作員がマンセーして全体主義をして、日本派の人たちが弾圧を受けていることが多々ありました。

いや私は逆におちょくっているわけですが、まあひどい惨状です。
当時オリンピックの時には陛下を殴るとか言い出したTwitterで正体を隠さなくなった統一教会の勝共連合世耕チーム関連?のクズインフルエンサーまで出てくる始末。

これは困ったことです。動きもせずネットでは勇ましい人が問題を拗らせて、最後は自民党支持者になっていく。気付いた時にはグローバリストのいいように振り回され、生活は苦しくなってもネトウヨ万歳とやっていく。しばき隊や自民党ネットサポーターは結局つながっているんです。国家がなくなればいいと思う一派なんです。共産主義は確かに危険です。それと同様に新自由主義グローバリズムも国家破壊でもっと怖いです。お金を持っているから共産主義を操れるんです。マルクスもレーニンもスターリンも資金提供があったのは新自由主義からの援助ですよ。
だからそれに対抗する国家とナショナリズムを理解することが必要なんです。

新自由主義者とは、だれのことをいうかわかってますか。小泉や枝野や世耕(元大臣がいましたねネット工作チームを作った)や竹中平蔵や橋下徹や安倍晋三や菅義偉のことですよ?
あれ保守ではございません。ここを勘違いするから情報戦で負けるのです。

この間違いから多くの自民党支持者が反共産主義思想という実は新自由主義グローバリストの情報戦により洗脳されていってしまったわけで、こう言う人たちを「頭の悪い国家を破壊する戦後保守」といいます。

それを知っていて竹中平蔵や高橋洋一や上念司や倉本などの政商量的緩和リフレ派や、有本香や加藤清隆や門田や小川榮太郎が政府からのキックバックもしくは新自由主義宗教系団体からのキックバックやパチンコ団体の統一系?からのキックバックを目当てに、楽チンな仕事をツイッターで展開しているわけじゃないですか。

政府寄りの発言をするって儲かるんですよ。オウム真理教で稼いだ、櫻井よしこさんはそうやっても儲けたのは誰でも知っているわけですので、ポスト櫻井よしこ争奪戦です。

たまに適当な言論をかいていますがクソみたいな文章ですね。彼らは利益の奪い合いをネチネチやっているのでよく分裂をしていますね。でも元の鞘に収まったりするので、スポンサーがついたんですねーっておもいますね。嘆かわしいです。保守ってなんでこんなに安っぽいシンボルになったのでしょうか。

それは自民党が政権をとって保守という高貴な思想を銭儲けのツールにしてしまったんですねー。保守は国を守るのが大前提なんですけどね。お金の匂いがプンプンする言葉になりました。

日本を守ってきた八百万の神様たちが怒ったら、俺らだって連帯責任で巻き込まれるなんて嫌ですね。本当にいや。

ということで、ここまで侵略国に力を与えるチャンスを与え、国内を見れば政治と国民が腐敗してしまったのですから、この国は終わるのは近いわけですが、終わるにしてもちゃんとしよう!ということで、少しでも国民と言われる国がつくのに国家を理解してなかったらまずいでしょう。ということで論理展開をしていこうとおもいます。


前提として、国家とは特定の共同体が支配する領域のことですが、これについてもう少し掘り下げた定義をするならば、国家社会学の「マイケル・ウエーバー」「マイケル・マン」「ジャン・ベンローズ」の著述から整理することとします。

「領域国家」とは
  • 「国家」とは領土のことである。
  • 「領土」とは空間的概念である。
  • 「空間」とは人間の「生活に不可欠な基盤」「力の源泉」「自然と向きあうことで発生する感情的な力」である。

領域国家たる「条件」とは
  • 「場所」一定の意味を付与された「空間」であり、物理的な実在を基礎にした社会的な構築物である。
  • 「領土性」や「場所」とは「領土」であり、 「空間」とは、人間が地理的に区切って定義して認知している領土。この「空間」に対する支配権の主張することが「領土性」であって、支配権の実践を通じて「領土」は創出され維持される、支配権の実践が無効になれば「領土」は重要性を失い消滅する。

「統治機構」:領域国家はどうやって「形成」されたのか
  • 「我々(のもの)」と「彼ら(のもの)」を領土によって明確に区分する「統治機構」
  • 「領域国家」は「統治機構」により区分される=これは近代的なものであることに留意しなければならない。
  • 「領域的ではない統治機構」というものあって、「未開社会」や「領土を固定しない」には存在する。 その場合の定義は「領土」ではなく「血縁」である。=モンゴルの遊牧民
  • 「統治機構が領域的」であり、かつ「領土が固定的である場合」であっても、 領土が必ずしも排他的ではない場合もある。=中世ヨーロッパで、一つの「領土」内に、国王・封建諸侯・教会など政治的権威が複数存在し分立重複した。

「主権国家」領域国家を守る上で必要なもの
  • 近代的な政治システムにおいて、政治的権威が領土内で単一の公的権威として統一されている。
  • 公と私という領域を分化し、公が私を”正当化された強制力”の独占をする。
  • 国家の内と外という領域を分化し、内に対しては法により国内社会平定し、 ”正当化された強制力”の行使で外には交戦権を発動する。
  • 血縁や封建などの多元権力で紛争が絶えなかった中世にくらべ、近代の主権国家は法や制度のシステムにより政治秩序を有するため平和的である。

地図


ー続くー

とあるプロジェクトで憲法と向きあっていまして、憲法とはその国家を構成する柱であるのだから、その解釈において国家観や思想や哲学というものを持たなくてはならなくなった。
かといって誰かの適当な妄想の宗教的合理的心理には、たとえば「神がこの世を作ったので信じなさい。神を信じなさい。」となると、自分のアイデンティティすら意味をなさないものと誤解してしまい、人間自体を軽視し、気分で殺しあうことになる。

宗教といふのは人間を支配者が監視をするための規律を経典で暗示し、恐怖させることで戒律を与えるわけです。彼らの目的は信じると人生が救われるという合理性にあるわけです。

しかしながら、よくよく考えれば、文化も宗教さえも、国家という共同体がないと誕生し得なかったのは明白で、まずもって言葉がないと伝承できませんし、人が集まる共同体が存在しなければ、宗教は組織をつくるという体をなすことができません。

そういう起源にまつわる「根本」を理解することは重要で、人は考える生き物であるはずですから、歴史を直視してきたということが、社会学という哲学の正当性の裏付けとなります。

(得体の知れない)神が言っていたので信じるんだ、、という合理主義に目を向ければ、現代において宗教の原動力は拝金主義つまり金であり、いかに政治に結びつけるかという「宗教と政治とカネ」の問題が日本においては観察できるわけです。
もちろんキリストもイスラムも、そして日本では仏教もいかに朝廷に組するかの歴史をみれば理解できるでしょう。

完全否定ではなく結局のところは宗教というものはそういうことなんですよ。「哲学や道徳を学ぶとしてはいいよね。」という客観的な捉え方が重要なわけです。
元々は宗教なんぞ思想が発祥だったはずですから。それが信者が増えて信仰するようになり誰かが金になると目を向けた時に組織化されていくわけです。


宗教組織のヒエラルキー最下位の信徒たちが原理主義として、信じることに快楽を覚え、正義という価値判断を間違い、平気で人を殺せるということが、現代の問題となっていることは明白である。

いや今は統一教会勝共連合の自民党支配(別に創価でもあるでしょう)で見えてくる、商業主義による国民経済の殺害にシフトされている。
安倍晋三の「国境をなくします。世界の富裕層の皆さんは日本で大いに稼いでください」というあのダボス会議での一言に集約されているわけですね。

「根本」を理解しなくてはらない。つまり宗教的な意味づけによる「人がどうやって創造されたのか」ではなく、その分野はエビデンスによる科学が証明するわけで、社会を生きる我々としては、「人はどうやって生きてきたのか」が本来重要なわけです。

たとえば古事記を見ても「国生み」が重要なわけではなく、その後の社会形成にまつわる神話が重要なのはいうまでもありません。そこから人は学ぶわけです。

人とは道理では説明できない不完全なものであって、そういうなかで国家とは様々な人の業や秩序や道徳が切磋琢磨して気づかれていったのかということが記されている。

少なくとも古事記はそうであり、それがその国の神話や伝記や歴史に学ぶということです。生きてきた、生きていく、という「活物」により、世の中をビルドしていくうえで必要なことなのです。

宗教は国家形成の後に作られるが、宗教は国家を利用し社会を食い物にし、国家を破壊してきたわけです。

今日本で起きている事を見ればわかると思います。

ここで誤解がないように指摘するならば、日本の神道は道の話です。だから「道」とつくのですよ。

人はこんなもんなんだよという人が道に迷った時に進み方のヒントをくれるものです。宗教と違うのは「これをやりなさい」といっていないことです。そんな「経典」などないし、古事記は単なる神話兼歴史書なんですから。

これを宗教というのは信仰を意味すると解釈されるからでしょうが、それは日本人が昔から持っている全てのものを敬うという八百万の神に感謝する精神の話なので、DNAに染み付いている民族のしきたりです。だいぶその精神は失われてしまったので、宗教だのなんだのと勘違いする人が多くなりましたが、宗教だなんだと批判する人でも精神を清めたいということで神社にはいくんですね。「何かしないと落ち着かない」人は拠り所としていくんですね。神社の何かしらの団体に加入してなくてもです。

神社に行くくせに宗教だのなんだのと批判をするんですが不思議なものです。

神社は人を選びません。象徴神はいますが絶対神などおりません。そしてヤシロをくぐるのは誰でも入れるし、お賽銭を払わなくても祈ることはできるんです。しかも祈ることは神を信じますではないじゃないですか、みんな祈るのは自分や家族のことばかりでしょう?

これはまさしく五穀豊穣を感謝するという感謝の気持ち、だから来年もいい年になるようにという思いがここに来させました。ということなんですね。

神社はこの資本主義の社会で国からも守られてませんから維持費を捻出するためにお札などを売ります。お賽銭を投げてもらうことを欲しています。これは強制ではありませんよ。神社で壺の押し売りなんてないでしょう。これを買うことによって神社という感謝を示す場を維持してくださいということを願っている人は結構いるんですよ。信仰をするならばそれは対等でなくてはなりませんし、主体性がなければなりません。

ですから神道はカリスマに全てを捧げるということとは相反していますし、信じ続けていればいいという宗教ではなく、社会を形成する上で必要な感謝を示す心の解放先なのですよ。

問題をおかしくしている日本会議は神道と仏教を利用したカルト集団なんです。本当にやめてほしいです。人間が金を集めて組織化した時点でカルトです。

こういうカルトに騙されないようにするためには、一人ひとりが歴史を知り、経典などと吐かす「ドグマティック」で観点を固定するのではなく、人が生きる道を追求する「プラグマティズム」的な思考を持てば、洗脳され、自民党が保守だのということを言っている自分が恥ずかしくなるのではないかと思います。


ということで、世界は神が作ったというわけのわからない宗教を一回否定して、次のステップの歴史に学ぶという趣旨により、国家社会学という生きた学問の観点から、中野剛志さんの著書である「富国と強兵」に記述のある重要な内容について理解したものを書いてみたいと思います。

私のフィルタを通すよりも、もっとこの本はたくさんのことを教えてくれるが、根本を理解してしまうことになりますので御覚悟を。

それではなぜその簡潔にして内容を紹介するに及んだかといえば、政府自ら「主権国家」を否定して「国際秩序」の「自由貿易」で「国防」を担保できるという無責任な幻想により「売国」を行い、「資本主義」を「株主至上主義」に悪用して稼ぐ「マーケットの住人」つまり生産労働を放棄してあぶく銭を強奪する「株乞食」が「国民経済」を食い物にするという「今だけ金だけ自分だけ」という「ナショナリズム」の崩壊により、現状の日本が、本当の意味で「国家存亡のの危機」に瀕しているのは、云うまでもありません。

「今だけ金だけ自分だけ」という多国籍脳が支配しているわけですが、どこでも稼げるという概念は愚かであるということ、国家に守られることの意味を理解してもらう必要があるのではないか。

ナショナリズムが重要なのは、なんとなくは理解していても、本質を知らないのであれば、(2021年招致)五輪と国民の安寧に対して本当の「主権者」たる「天皇陛下の大御心」さえも不敬に否定され、国家の意味よりも人が統治のために作った「憲法至上主義」という詭弁を利用し、うわべだけの極論の対立に利用されてしまったわけです。

従って、ただしく「国家」のあり様、「日本のナショナリズムは稀なもの」であることを含め、何回かにわけて要点をブログで書き示したいと思います。

このシリーズでは「国家」における「国防」が重要であることを明白にすることを目指します。別に戦えと言っているわけではありません。

もちろんご安心ください。
繰り返しますが、主要部分は私の考えではなく、先人の素晴らしい研究成果を、中野剛志氏が「こりゃ日本がまずいぞ」という危機感から書き示したものを引用しておりますので。

もちろん、私が補足を言いれている私見に関しては、不条理を打破するために書いていることをご容赦いただければと思います。



富国と強兵―地政経済学序説
中野 剛志
東洋経済新報社
2016-12-09




憲法義解 (岩波文庫)
博文, 伊藤
岩波書店
2019-06-15













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