あまちゃんブログ

やあ!僕だよ!

2017年05月

やあ!僕だよ!
また税金高くなった気はするよね。働いても働いても我が暮らし楽にならねー。
まったく政府はアベノミクスとか言ってるけど、働いても働いても自由にできるお金もないよねー。
なんでなんやろか?生活保護俺だってほしいよー。在日コリアンさんはいいよなー。。


本題にはいります。
本件はこのリンクの「きまぐれ⭐︎オレンジ⭐︎ラジオ」の放送のなかで桜井氏からの拡散依頼に基づき書き起こしたものです。


「日韓合意」と「在日問題」はリンクしている衝撃の事実を桜井誠氏が推察した件


まず前提として歴史は確証の積み重ねが多いものほど真実であるということは子供にもわかる話であり、

証拠がないのであればただの作り話であることは誰も否定できない。

その中で、「強制連行従軍慰安婦」と「強制連行在日朝鮮人」については、韓国及び在日コリアンによる捏造であることをご理解いただきたい。

この件について真実を無視し、ご自身の利権のため、意図的に疑問を呈する方は、ご自身のルーツのために、もう少し他で勉強されてからお越しください。


なぜここまで反日をされながらも在日特権を当たり前のように施行し続け、半島に気を使い、それにより我々日本人の血税が奪われ、毎度人権ビジネス団体や反日ユネスコのような不要の産物団体から悪評される材料となる「日韓合意」で謝罪するに至ったのか。
謝罪をしたのにもかかわらず受け入れられないとして、韓国は売春婦像を量産して各国に配備しては壊されていくのだろうか。
みなさんも不思議ではないでしょうか?憤りを感じるはず。


以下、朝鮮近代史への造詣が深い桜井誠氏の発見ともいえる歴史の推察の話です。
なぜ?について突き止めたのだから発見ともいえる内容です。

また、桜井氏は今の段階では予想であるが、この結論について調査すると宣言しています。


ことのはじめとして、

▪️まず慰安所は軍部が支援をしていたのは事実であり証拠がある。

慰安所は現時的に民間業者が軍部への商売として戦時中の兵士のために利用することを許可していたのは事実。当然ながら日本だけではなく世界のどの国でも慰安所を利用していた。
合法的に需要と供給として民間商売としてなりたっていたのであるから問題はないだろう。 


それでは慰安所に軍が関与していく流れをたどると、

はじめて慰安所(民間の売春宿)を将兵が利用していたのはシベリア出兵時⇨民間業者が健康管理をしないため性病が広まり梅毒で戦えず病気で倒れる将兵が多かった⇨軍はなんとかしなくてはということで、上海事変のときに軍指導のもと民間業者が慰安所を設立(実際に経営してたのは民間業者で軍に許可をもらって商いを行っていたため、軍が関わったのは事実)
・敵のゲリラなどに狙われないように配慮する。
・性病検査を慰安婦に課し兵士と売春婦の健康を管理した。
・民間業者が経営していたわけだが、共同経営ではないが管理上それなりの対価(給料)を慰安婦へ報酬を支払っていたのも事実(しかも高額)

どうみても当時の合法的売春宿であり、強制的ではないし、従軍でもないし、性奴隷でもない。


▪️ではいつだれがの強制連行従軍慰安婦問題などという虚構をでっち上げたのか?

初のきっかけが毎日新聞の千田夏光という売国奴が従軍慰安婦といった。

そして吉田清次が強制連行慰安婦をネタにした虚構本を書いて日本は世界から非難されるわけだが。

そして5年後1991年にこの嘘本を下地として朝日新聞が大キャンペーンを張る。

そのあと売春婦ばばあが「こんにちわ売春婦です、連行されたと言えば賠償金もらえると聞いてきたんですがスムニダ」とよくも恥ずかしくもなく出てくる。(当時日高級売春婦で稼ぎまくっていたにもかかわらず)こいつらが嘘を吹いてまわった。
当時朝鮮は人身売買などがあり、女性の意思では無く同じ朝鮮人より連れてこられた人もいたそうだが、それに関しては、連れてこられた本人がわかっていることであり、軍部では事情はわからなかったろう。無理矢理ではない証拠として、実際に新聞などで高級報酬を明示して売春婦の募集をかけていたのだから、単なる働きたい人を採用していたにすぎないのだ。(後になってすべてデマだったと朝日新聞が紙面で謝罪し大問題になったが世論に負けて自白しただけであり、この新聞社は自浄能力がなくただのパルプフィクション会社であると言える。)


👉そしてここが桜井誠の推察であるのだが、

どうしてもひっかかっているのが、1990-1991年(平成3年)に、なぜ朝日が突然捏造キャンペーンをしたか。ということである。
なぜかというと、この年に在日問題がおきたからである。


▪️在日朝鮮人問題は大東亜戦争後まで遡る。

大東亜戦争において敗戦を迎えたときに残った朝鮮人がいた。日本政府は叩き出そうとしたが210万人中60万人ほど残ってしまった。

実際には210万人中150万人は帰ったのだ。残りの帰らない人について吉田茂はマッカーサーに叩き返せと

(書簡を送った証拠がある)進言したが、自分の意思で日本に残ることを決めた朝鮮人。

これらの事実を見ても強制連行は嘘だということがわかっている。(韓国人も最近この捏造は使えないことを理解している)


ちなみに、この事実が周知されたのは桜井誠(日本第一党党首)の功績である。(ここは必ず伝えるように!といってた( ー`дー´))


▪️その在日60万人が残ったがどうするのか?困ったもんだ。

当時はGHQ占領統治下であり朝鮮人及び半島の統治権もアメリカであったため、日本人には管理権はない。

そこでGHQが定めた「法162号」が施行され、引き続き日本にいたいなら在留してもいいよという「在日一世のみ」に与えられた例外措置、すなわち「特別在留許可」がGHQから施行される。


そのあと1965年「日韓地位協定」が結ばれると同時に、あらためて子孫の在日二世三世はどうするんだ?という議論があり、(これも同じ民族に対して韓国という国はまったくもってひどい話ですが)韓国側は引き取らないという非道な決断があり、日本側としては人道観点から1965年「在日地位協定」を、つまり時限協定として25年間は居ていいよって話になった。


👉その25年後の1990年に、朝日新聞の捏造キャンペーンとぶつかるわけです。

 日韓地位協定を遵守するなら在日1世を含め全て半島に帰還するのが筋である。
 いいですかみなさん、もう一度いいますが、本来ならここで在日コリアンは一人残らず自分の祖国に帰っているはずだったんですよ!!!!


今でこそ捏造であったと従軍強制連行慰安婦について、この時に道義的に日本は責められたんですね、そしてなんでも頭をさげる日本。戦うことすらできなくなっている当時のだめだめ総理「宮沢喜一」が韓国にごめんなさいと言ってしまった。


そしてこの年、日本と韓国で、在日コリアンの取り扱いについて話し合われ両外相が覚書を交わす。

なぜか道義的に謝罪していしまっていた日本は、両外相の覚書に「入管特例法」を設け、未来永劫韓国籍のままで日本で生活していいこととした。

これはまさしく「在日特権」の何物でもなく、本当に舐めた話であり、他の日本に滞在する外国の人はどう思うのでしょうか。

まさに贔屓というか他の外国人への差別であり、日本人を疲弊させるものですね。
なめるな! 


さあいかがだったでしょうか。

桜井誠氏は、なんとかこの事実が繋がっていることを証明したいと語っていました。

👉この朝日新聞の慰安婦問題の捏造キャンペーンにより、日本は道義的に在日を受け入れざるを得なくなりました。(毅然とした対応ができない、持論がない、外交下手の自民党歴代総理が諸悪の根源なのですが・・)

これが証明できたときに、在日コリアンを正当な理由として日本から強制帰還させることができる。
それはどうゆうことかというと、日本人の生活が楽になります。
具体的にいうと、
「原子力エネルギーに反対する反日」がいなくなれば、輸入が減るため電気代が相当安くなる。
「働かない外国人への生活保護」(ひとりあたま月20万円)は日本人のために使われるので税金も安くなる。
通名を使って日本人がやったように見せている残忍な犯罪も無くなるわけですから治安がよくなる。
どれだけ我々の生活が楽になるのか想像できますね。
 

あくまでも桜井誠氏の予測ではあるが、だいぶ本質が見え、絡まった糸がほどけてきましたね。
洞察を持って予測した結論への証拠を積み重ね、誰もが納得いく史実に導くのが歴史学である。
桜井氏の最も得意としているところです。

みなさんはこの事実に共感したら、ご自身の言葉をツイッターやブログやクチコミで、日本の今、そして未来のために拡散をおねがいします。by桜井誠(日本第一党党首)
 

 


それでは、さいならーさいならー。 



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やあ!僕だよ。

やっと書けたこのブログ。ほんと忙しい。好きな人のことを書くんだからちゃんと書かんとね。

ちょっといろいろと別れの時期。どっかの飲み屋で流れてた曲がすざましく心に突き刺さったんだよね。なんていうか酒飲んでて他の歌はスルーだったんだけど、この歌は今までの日本人の歌うどの歌とも違う感じがした。
背筋を張って世界で一番かっこいい曲作ったから聴いてくれって言われてる気がした。
独特の歌いかたで子供っぽく中性的であって抜群の歌唱力で味がある。

彼を見ているとギターで弾き語りってかっこいいし楽そうだなって思うんだ。
いままで歌手って、バンド組んでカッコつけてってビジュアルから入る日本人はたくさんいるのが普通だし、まあ奥田民生なんかは楽そうにやってるけど、どうしても長渕〜〜みたいなイメージが強いんだよねー。アコギで繊細なアルペジオを引いて抜群の歌唱力で歌う。
玉置浩二が絶賛してけど、みんながやりたかったことを簡単にやってしまう。
しつこいけど、ローリンヒルがギター弾き始めたころのスタイルにも似ている。

ほんとうにそれは衝撃的な出会い。日本にもいるんだ?だって私は洋楽しか聴かないひとだよ。

それでははりきって歌っていただきましょう。



彼の歌にはその時の情景が思い浮かぶ。そして心情なんかとリンクしたとき、恐ろしいくらいその場面が溢れてくる。
ただのギター弾き語りではなく、天才的なギターを奢ったりしない弾きかたで、ルーツは南部のブルースの出?と思わせる指さばきで何人で引いてんの?ってコード進行。
それから、バンドでやるときはバンドメンバーとセッションを楽しんでいる。アーティストやパフォーマーってよりは、ミュージシャン。それも常にギターを持ち歩いてるような人ですね。
だからこそ、同業者には一目をおかれ、すごい人から共演のお誘いがくる。
私から言わせれば、そうねー。日本のローリンヒルのようなイメージです。流れに乗らなくても好きな曲で最高のことをして、その時はみんなぽかーん??でも、あとからそのスタイルを結局真似ている。そして偉大な先駆者達をリスペクトしながら、自分のフィルタで今に鮮明化させる。

おっとまた名言を吐いてしまった。。音楽評論家の人は私の名言をパクるなら許可を!www

この曲、
詩は抽象的で誰にも当てはまる感じなんです。お母さんの歌なのか戦っている人へのレクイエムなのか、それは聴く人の立ち位置で変わってくるのかもしれない。
それよりも、このギターのリフだ。
もう天才的な誰が聞いても凄いと思わせるアコギの波。そしてリズム。
ぼかぁ、この5月から6月の夕方の青い空なんか見てこの曲を聴くとグッとくる。
みなさんはどうかしら。。
「家族の風景」 







この歌、歌詞についてはよくわからないのですが、彼がSuperButterDogというバンドから独り立ちしたころの、いろんな不安や期待がある時期に作った曲。
爆発はしてないけど、とっても素敵なミュージシャンになれたのでは?
当時の彼に行ってあげたい。日々のあわ。ってこと、つまり積み重ねってことを自分にも問うてみる。。まあメロディが素晴らしい。春から夏の夕方の日々盛り上がっていく青臭い匂いを、私は感じてしまうわけです。
「ハンキーバンキー」







別れの曲ね。つまり持てない男やフラれしまった人の気持ちを恨み節ではなく、前向きに「またあえるといいねー」って歌い上げる。未練たらしくもなく深かった気持ちを忘れる気持ち。それだけ。聴いてみればわかるんだ。
冒頭の歌い出しの部分はむずかしい。かれの子供っぽい感じとずば抜けたブルースも歌いこなせる歌唱力が凄いことに気づかされる。
「さらら」





  窓辺にもたれ僕を太陽に透かせば
  胸の痛みがオレンヂに滲んだ・・

彼は詩の世界でも素晴らしいと思わされました。
彼の歌はやはり前向き、少し肩の力抜いていいんだよでも前進もうと
こんな素敵なオリジナルを持って弾き語りやってみたいよ。
「明日へ行け」 




おっと、もの哀しげな曲調ばかりではない。というか元気をくれる曲の方が多めなんです。
元気がない時聴きたくなる曲です。さあうたいまっしょう〜〜🎵

「音タイム」




光と影(ライブ音源)
この歌を3.11の震災のときに、ヨウツベに素敵なセンスのある方がアップしていたこの歌。
東京タワーが節電でおちていたときかな?山手線を一周して震災前の東京の風景の映像を車窓から回したのを見て、涙がボロボロでた記憶があります。
この歌で決定的に彼の音楽が私の生活に染み付いてしまった。
だって、「君だけの光と影、闇の向こうの光を見に行こう」だよ?この覚悟ってすごくない?
卒業、結婚、出会い、別れ、すべての感動のシーンで今後も使われるであろうクラシカルです。
「光と影」





これについてはアルバムの名曲なんですが、個人的にはこの曲すげーって思うんだよねー。おそらくハナレグミが必死になって悩んで作った曲のような気がするんだ。
彼のこだわり、震災へのメッセージ。このときは映画のサントラでもあってテーマである(人の死)ってものを考えていた彼。溢れた答えは、悲しみより「ありがとう君の残した思いってやつを大事にしたいんだ。」ってことを最後に持ってくるグルーブ感で歌い上げる。
嵐が去った後の夜空って感じで。わーーーーーってなる曲です。凄い曲です。
「ちきしょー」






SuperButterDogの頃の名曲に乗せて


今の状況から旅たつってことは勇気がいるんだろうね。ステップアップの転職、何かに立ち向かいたい。それが君のためになるなら。いくんだ!そんな曲。
「さよならCOLOR」




そして、彼はしばらく旅に出る。震災がもたらした衝撃と自分に何ができるか。そして音楽のルーツに立ち向かい。ギターだけを持ってどこまでいけるか。音楽の修行。
そこらへんの人権ビジネスのミュージシャンが宣伝のために行った行動ではなく、彼の真面目さがそうさせた。そしてしばし私たちは待つのである。


目をつぶれば、背景や風景やその時の心象カラーが見える、そして季節が見える曲を作り続けて欲しい。



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